直感からはじめる研究テーマ探索(山下勝)

2009/8/21

いま大学は夏休みである。といっても授業がないというだけで、書かねばならない原稿がたまっていてなかなか休み気分にはなれない(なかには〆切を過ぎているのもあるし)。わたしの夏休みはいつから始まるのだろう?

さて先日、ヒューマンイノベーションコースの前期最後のゼミを行った。今年はM1の人が4名、M2の人が1名いる。それなりの人数なので前期は平日夜間に隔週でゼミをやってきた。企業にお勤めの方だと、1830分スタートといっても全員が時間通りには揃わない。こんなご時世で会社も大変だ。それはある程度は仕方がないと思う。30分遅れ、1時間遅れという感じでようやく全員が揃う。終わるのはいつも22時ちょっと前だったので、みんなきっと腹ぺこだったろう…。わたしだけゼミのなかでいつもコンビニのおにぎりを買って食べていたが、なんか申し訳なかった(みんなも買ってくればよかったのに)。

M2の社会人の女性は論文提出までもう半年を切っているので、やるべきことが多くてかなり大変そうだが、そこはもう頑張れと応援するしかない。忙しい社会人だと、〆切が迫ってくるとあきらめてしまう人もときどきいるが、気持ちを切らせないというのが一番重要なのだと思う。そんな彼女に比べるとM14名はさすがにのんびりしている。彼らは大学院に通いはじめてペースをつかむというだけでも前期は大変だったはずだ。平日夜間は週3で、土曜日も隔週で授業を受けてもらっていたので、なかなか自分の研究を進める時間がなかったのだろう。本当は、そろそろ「これだ!」というのを見つけてもらって、読むべき文献も絞り込めてきたというふうにしてもらいたいのだけど…。

M14名の研究報告の様子はもちろん一概にはいえないのだけれど、それでも似た特徴があるように感じられる。そもそも4名の関心のある研究分野は違っているが、それぞれ職場のチーム開発、経営理念の伝承、組織活性化、組織変革と極端にバラバラというわけでもないので、わたしもなんとか対応できている。問題なのは、これらのテーマがなかなか安定しないところだ。ある週の研究報告で聞いたテーマが翌々週に大きく変わっていることもしばしば。時間もなかなか取れないし、研究活動をスタートする最初のうちは仕方ないのだろうけど、もう少し効率的に研究テーマを見つけてくれたらいいのにと、ついつい思ってしまった。

最近は論理思考ブームで(もう終わった?)、結構多くの人が論理思考には興味があるみたいだ。たしかに研究者が論理思考できなければ大問題なので、それは大学院生のみんなには是非とも身につけてもらいたい能力だ。ただし、研究テーマを探索するときに早急に論理思考に入ってしまうと、これは良くないことが多いと、わたしは常々感じている。例えば、前期は院生だけでなく学部ゼミの4年生も卒論のテーマを探していたが、頭の良いやつほどどつぼにはまる。難しそうな本を読み込んでくるが、そんな本を読みあさっても研究テーマなんて簡単に見つかるものではない。どんどん理論の深みにはまってしまって、視野は狭くなっていくし、話を聞いているわたしもそうだが、プレゼンしている本人もちっとも楽しそうではない。おまけに最後までプレゼンしても結局、研究課題にはたどり着かない。また最初からやり直し…ということを無限ループのように繰り返している。論理思考だけで研究テーマを見つけられる人はかなりの天才だと思う。

そこで、わたしは主に学部生には次のように指示することにしている。まずは頭を使わずに、(1)直感的に素朴な疑問を感じること。前述のように、導入の段階から頭を使うと視野が狭くなるし、既存理論の枠組みのなかでしか物事を考えられなくなってしまう。通学電車の窓から景色をボーッと眺めているだけでもいい、多少は失礼だけれど同じ車両内の人たちの会話に耳を傾けて立ち聞きをするだけでもいい。なにも学術的な本でなくても小説や漫画を読むだけでいい、テレビ番組や映画を見ているだけでもいい。ほんの少し、それらのなかで直感的に何かを感じてくれればいいと思う。直感には面白い特徴があって、ひとつは本人の興味のなかからそれは出てくる。われわれの心のアンテナは興味のないことには引っかからない。もうひとつは、逆説的にも感じられるけれども直感的にピピッときたものはそもそも本人の頭のなかの知識と異なっているということだ。たとえ興味のあることでも、すでに知っていることや常識の範疇のものに対してわれわれはピピッときたりはしない。直感は自分の知識への問いかけなのだ。

こういった直感が得られるようになれば、次にしなければならないのは(2)その直感の基本的な前提を明らかにするということだ。ここから先は論理思考になってくる。例えば、日曜日の夕方にボーッとテレビを見ていて、“なぜ笑点なんて番組がいまだに放送されているのだろうか?”という直感を持ったとしよう。この問いははっきり言って笑点ファンの人たちには失礼だ。だからこそ、なぜ自分がそんな失礼な直感を持ってしまったのかを冷静に考えてみる必要がある。すると、まず自分は笑点という番組が嫌いなのだと気づく。なぜ嫌いなのかといえば、自分は大阪人で上方の落語家ならともかく関東の演芸が肌に合わないからだとわかる。それでは関東人はみんな笑点が好きなのかと考えてみれば、どうもお年寄りばかりが見ているようで、若者はきっと見ていないのではないかと気づく。つまり、この直感の前提は“関東のお年寄りしか見てないのに”ということになる。われわれの直感の裏側にはこういったロジックが実は埋め込まれている。とりあえずこの前提が明らかになれば、きっと笑点ファンの人にもこの直感を理解してもらえるはずだ。

自分の頭のなかにあった前提を明らかにすることで直感の全貌が見えてきたら、最後にしなければならないことは(3)仮説を探すことだ。これも論理思考である。なぜ笑点がいまだに放送されているのか、自分の頭のなかで考えられるかぎり考えてみればいい。おそらくこの場合は簡単で、笑点は視聴率が良いということになるだろう(インターネットで調べてみたら常に15%以上をとっているらしい)。若者は日曜日には行楽に出かけていて、この時間帯に自宅にいるのはお年寄りが多いのかもしれない(大相撲の時期は若干視聴率が下がるらしい)。すると、わたしも年寄りになると笑点を面白がって見るようになるのか、といった新しい疑問もわいてくる。ほかにも次のような直感をもってきた学生がいた。“どうしてスタジオジブリのアニメには大人も見に行くのだろうか”。おそらくこの直感の前提には、普通はアニメ映画を大人は見に行かないはずだ、というのがあるのだろう。これも仮説を真剣に考えてみればいい。ひとつは子供の頃にジブリアニメをよく見ていた人が大人になっても見に行っているという仮説が考えられるが、これはドラえもんも同じ条件のはずなので当てはまらない。大人も見られる作品内容だという仮説はなるほどと思うけれども、COWBOY BEBOPのような大人向けのアニメも結局はアニメ好きの大人しか見ていないことを考えれば、この仮説も説明力が足りない。もともとアニメ映画を大人が喜んで見に行くという習慣がなかったのにスタジオジブリがうまくブランド化に成功した(宣伝も含めてマーケティングがうまかった)という仮説については、これはなにかありそうだと思う。

こういった心と頭の運動をうまく連携させてやることで、なにかが見えてくる。ここで、なにかありそうだと思えば、関連する文献を読んで、さらに直感の外堀を埋めていけばいい。実際のところ、上記の笑点とジブリアニメの両方に対する素朴な疑問はちょっと仮説を考えてみればすぐに答えが見つかってしまいそうな問いなので、研究してみるほどの価値がなさそうだと自分で気づくことができる。なかなか答えの見つからない疑問や直感をまた収集することになるのだけれども、これは心と頭を使った面白いゲームなので苦痛ではないはずだ。

忘れてはならないのは、必ず直感から入るということだ。会社にお勤めの人たちも職場での直感をスタートラインにしてじっくりと考えていけば興味深い研究テーマが得られると思う。そのために直感を得る機会をたくさん増やしてほしい。前述のように、電車のなかも直感の宝庫だ。そんなときにヘッドフォンをつけて音楽を聴いているなんてもったいない(そんなに音楽が好きなら自宅のオーディオの前に座ってじっくりと堪能すればいい)。電車のなかにいるときも、街を歩くときも、ぜひいろんなものを見聞きしてほしい。直感を得るのは快感だ。

夏休みのあいだにも一度、ヒューマンイノベーションコースの院生ゼミを開催する予定だけれど、みんな良い直感を持ってきてくれるだろうか…。少しだけ心配だ。というのも、不幸なことにこの直感だけは誰にも手助けできない領域だからだ。でも幸いなことにこの直感だけは科学の世界にあっても誰にも介入されない聖域なのだ。そのことを楽しめ人は研究に向いていると思う。