HIコースインタビュー Vol:1-② 香川秀太准教授に聞く

2013/4/17

「HIコースインタビューVol:1-① 香川秀太准教授に聞く」の続き。

Q:先生のご研究は、看護の領域のものが多いですが、きっかけを教えてください。

状況論においては、学習の転移や、人が異なる状況間をまたぐ学習過程に関する議論があり、その中でも、「学校教育は実践の現場と乖離している」という有名な議論があります。私は特にそうしたことに関する研究がしたいと思い、大学院に入りました。その転移の話に関連しますが、レズニックという研究者が、学校の学習が実践に転移しない理由の一つとして、学校では、実践現場で豊富に道具がつかわれることに比べて、むしろ、道具に頼らない個人の能力を鍛えるため、それは制約される傾向にあるからだ、と述べているんですね。そのことが何となく頭にあって、あるときに看護の大学にお邪魔したら、医療器具やベッドなど、実践的な道具が豊富に取り揃えられていて、実践に直結することがむしろ教えられている。レイヴは88年の本で、転移は存在しないって結構極端に述べているんですけど、実際に看護系の大学に行ってみると、むしろ転移っておこってるんじゃないのかなと素朴に思った。で、先生方に聞いてみたんです。こんなに道具が揃ってるし、直接役に立つことを教えてるんだったら、学生さんは、現場に出てもしっかり動けるんじゃないですか?って。そうしたら、そんなことはないと。あんなに学校でいろいろやっているのに、実践に出るとフリーズしてしまって全然うまくいかないという話を聞いて、これは面白いんじゃないのかなと思ったのがきっかけです。

且つ、いくつか読んだエンゲストロームの論文の中に、医療関係のフィールドをテーマにした研究がいくつかあって、医療関係は面白いっていう潜在意識があって、そことつながったというのもあります。

でも、(自身の看護の研究が)現在まで続くとは、始めたばかりのころは思ってはいませんでした。状況論の研究者の方たちは学校とか職場とか、結構いろんなフィールドを渡り歩きながら、研究をやられていたりするので。ただ、看護のフィールドで起こっていることは、突き詰めると、他のフィールドにもつながる共通点が多いと思います。逆もまたしかりです。そうして互いを、つなげていくのも、大事な私の仕事です。

例えば、企業研修。研修では、満足度を高める次元と、ねらった知識が身についているかという次元と、更にもう1歩進んでそれが職場に転移できるかという次元があって、その転移が一番難しいと言われてるんですけど、そこで研究されていることも、看護の研究とつながりが見いだせると思います。或いは、ある職場から別の職場への移行、部署間の連携など、色々な関連性が互いにあります。学校とも関係します。研修は、例えば一斉授業方式など、学校のシステムを踏襲している側面がありますし、評価方法、管理‐被管理関係、権力関係、上下関係も、全く同じでないにせよ、学校と関係します。

根っこでいうと、これらは全て、状況間、文脈間の横断とか、越境という概念でつながります。組織、コミュニティ、シチュエーションを横断する学習ということです。

似たことというのはつまり、状況間を横断する中で、アイデンティティが変わるとか、文化的なギャップが生まれるということです。例えば、研修の場合はいろいろなことがスタティックなことが多い。でも、実践では、対象がリアルなお客さんや患者さんで、マニュアルに書いてあるようには動いてくれない。複雑でいろんなものが絡んでいるし、それぞれの状況におけるコミュニケーションの在り方や人やモノとの関係が互いに違う。自分という存在のあり方、ポジショニングも、関係性の変化によって変わってくる。

それと同じようなことが、実は、組織内の小集団の関係性にもいえる。例えば幹部のやり方や方針と、現場でやっていることの間には乖離があったりすることは、どの職場でもありうることですが、それは幹部と現場状況との人やモノとの関係性や相互行為の違い、見ているもの、重視するもの、文化の違い、アイデンティティの違いからです。

つまり、状況間の横断、複数のコミュニティの関係性という枠組みで見ると、一見別物に思えていたフィールド間に、いろんな共通点や特徴が見えてくるということです。

看護の領域をフィールドにすることについては、面白さとやりがいを感じていることに加えて、看護教員の方たちの研究をやろうという機運が高まっているということもあります。僕は門外漢ですし、見た目的に威厳もないので(笑)、その点は弱みかもしれませんが、逆に、少し離れたところから見ることができる立場でもあるかもしれません。状況論的に看護の実践や看護教育について考えるということについては、これからニーズがもっと増えていく気もしますし、そこに何らかの面白さややりがいを見つけられる限り研究も続けさせていただきたいと思っています。

今、ちょうど熱心に実践も研究活動もやってらっしゃる看護系の先生方にお声をおかけいただいて、状況論を用いた、学習コミュニティづくり、或いは、新しい教育実践や職場改善の取り組みに加わらせていただいております。その中で、佐伯胖先生のアイデアが大きなヒントの一つになっています。それを、色々な他のアイデアを異種混交させながら、どう、目の前のフィールドにうまく創造的な具体化をし、実践、教育現場をつくり変えていくことができるかの勝負です。

またもう一つ、これまでの話とは、全然関係なさそうですが、実は今、反原発デモを中心に社会運動にも関心を持っていいます。昨今のデモは、逆に、組織というものがはっきり決まってない緩やかなネットワークだ、という風に言われています。

例えば、官邸前でやっていた反原発デモ。スタッフの方たちは代表を置かないということにこだわっていたりします。議会制、代議制ものに対するアンチテーゼが背景にあって、代表を置かない、団体の旗を置かない、かつ組織というはっきりしたものを作らないようにしている。

で、そのデモって、実際に行ってみると別に「反対!」って言わなくても、ある意味で、「参加者になる」んです。官邸前には生垣があって、そこにみんなが座ってる。座っているのはただ休んでいるだけかもしれないんですけど、はためから見ると、参加者になるんですよね。そういうのが、結構面白かったりする。

要は普通の組織のように、入社するとか、書類を書くとか、そういう入口の境界がない。実は見に来てるだけかもしれないし、反原発デモなんかむしろ反対と思っているかもしれないんですけど、「そこにいるだけ」で、参加者になってしまう、その矛盾が面白いんですよね。

デモは、そんな形で、境界が一見ない、緩やかなつながりに見えます。しかし、いろいろ見てみると、実は境界がないようで、いろんな境界も同時につくられている。境界をつくらないようにしながらも、別の新たな境界がつくられている。そんな矛盾や複雑さが面白い。で、状況間の越境は、境界について議論するということでもあるので、境界そのものって何だろう、境界とは何だろうっていうのを考える上で、デモの動きっていうのは結構面白かったりするんですね。

今、そんなことも含めて、デモを素材にした原稿を書いたところで、それを盛り込んだ本を編集しています。そんな形で、越境論の延長線上として、或いは越境論の問い直しにつながるものとして、さらに、イノベーションや社会変革を考える上で、大事なヒントが隠されているのではという直観のもと、デモの分析にトライしています。

Q:先生が4月からご担当される授業について教えてください。

組織学習実践研究と組織学習論。それと、学習デザイン原論です。組織学習論の内容や予定について紹介します。

例えば、職場において、教育を担当する上司とそれを受ける新人とのコミュニケーションのやり取りとか、そういうローカルなレベルで見ていくと、そこには学校教育の亡霊のようなものが存在したりもします。

だから学校のことにも多小触れながら、組織でのやりとりを分析する視点について話しをしようと思っています。それから、組織論に関する基礎的な理論のお話しもさせていただく予定です。あとは、組織をどう作り替えていくかという組織変革の話。組織のイノベーションを起こすために実際に行われた実践の話。例えば、離職者を減らすのに、幹部と現場の乖離を色々なコミュニケーション機会を新たにつくって埋めて、それに一定程度成功したという実践。そんな具体的な事例をふまえた、組織のイノベーション、変革に関する話題を提供させていただいて、最後にデモとか社会運動の話しにつなげていこうと思っています。

ちなみに、イノベーションって、良いことのように言われがちですが、今までのものをある意味否定することでもあるので、否定されたことによって弊害が出てくることも見逃してはいけないと思っています。言い換えると、イノベーションは、矛盾の塊でもある。そういう意味では矛盾論とイノベーションは切り離せないです。この矛盾論は、社会運動のデモの話しをするときにくっつけて議論をするんですけど、組織の問題も、それと重なるという話しをする予定です。もちろん、違いもあり、それもすごく大事な点ですね。

QHIコースは、先生よりも年上の学生がほとんどです(笑)。年上の学生を教える、ということについてはいかがですか?

僕は今まで、年上の方と研究していることも多いですし、講義やセミナーで、年上の方に話題を提供させていただく機会も少なくないです。例えば、看護関係の方の前での講義では、200人ぐらいの前でお話しさせていただくことは少なくないですし、それもほとんど年上の方ですね。試行錯誤しながらですし、少しずつ反省しながらではもちろんありますけども、似たような状況の経験は日頃させていただいているように思っています。だから、私のほうから、話題や議論の種を提供させていただいて、具体的な事例やご経験は、院生の方たちのほうが豊富にお持ちだと思うので、ご自身のそれらに絡めて語っていただいたりしながら、私自身、いろいろ教えていただきたいと思っています。要するに互いに知っていること、知っていないことがあるという前提で、フラットにディスカッションするというか、逆にいろんなリアルなお話しをお聴きしたいと思っています。

Q:最後に、先生の趣味を教えてください。

大学のときは、モダンジャズ研究会に入っていました。それでサックスをやっていまして。まぁ、下手くそなんですけど。で、楽器やり始めると、僕、凝り性だからもう止まらなくなっちゃうんですよ。練習しなきゃいけないとか考え始める。それをやり始めると自分が追い詰められるので、楽器は触らないようにしています(笑)。ただ、聴く方は、今でもジャズや、関係する音楽をたくさん聴いています。苅宿先生のワークショップでのインプロビゼーション(即興)の考えは、まさにジャズの実践や伝統に通じます。

苅宿先生にご支援いただいて、いつか、インプロという実践のエッセンスに加え、ジャズの音楽やセッション等,何らかの形で取り入れたワークショップを企画させてもらえないかなと、一方的にですが、密かに思っています(笑)。

<おわり>


HIコースインタビュー Vol:1-① 香川秀太准教授に聞く

2013/4/17

Q:香川先生は大学生のときに、HIコースの高木教授の授業を履修されていたと伺いました。当時の様子を教えていただけますか?

高木先生に出会ったのは、中央大の学部3年生のときです。当時、高木先生は非常勤で授業を2コマ持っていらっしゃいました。1つはピアジェとチョムスキーの論争についての非常に難解な本をグループで読み合わせて解釈を発表して、その議論の質を競うという演習授業。もう1つは、状況的学習論、活動理論の講義でした。かなり深い理論の話しを学部生相手にすごいスピードでされていて、ついていくのが大変だった(笑)。

演習授業も、めちゃくちゃハードでしたね。多分、卒論の次ぐらい、卒論よりも大変だったかもしれない(笑)。でもなんかそれが、すごく面白かった。同じグループの学生は、みんな1人暮らしだったので、誰かの家に泊まって、朝までずっと議論する(笑)。これはこういう解釈じゃないか?いや、こうだ!って。そんなふうに、毎週、1日泊まり込んで発表の準備をするっていうのが半期続いた(笑)。結構しんどかったし、読んでいる本自体難解でよくわからなかったですけど、議論して解釈を出していく、それに取り組むということがとにかく面白かったですね。何度発表しても先生は,解釈の正答など教えてくれない(笑)。間違っている,正しいというような評価は基本しない。ただ,議論の中身やアプローチに鋭くコメントをしてくれるといった形でした。講義の方も先生の話しが面白くて、単位とは関係なしに、純粋に興味関心で授業に出ていました。

余談ですが,最近…なのかはわかりませんが,「分かりやすい」ことが良くて,「難解なこと」や「分かりにくいこと」を単純に悪としてしまう,ちょっと偏った風潮があるように感じることが少なくありません。ですが,少なくとも学問というのは,よくはわからないけど,なんか引っかかる,その答えを自ら苦悩しつつ探り出そうとする,というプロセスが実は,面白さの根っこにあるものだと思うんですよね。その苦悩を避けて,手っ取り早く分かりやすい言葉で伝えてもらって,なんとなくわかった気になって終わる,というのはちょっともったいないのかも。実は学問という実践だけでなく,知識は何となく…の先に,自らの苦悩や創造やローカライズがないと,学びになっていかない,自分のものにならないと思います。もちろん,分かりやすいことが悪だと単純に言いたいわけでもありません。

話を戻すと,僕は、その授業で状況的学習論や活動理論のことを知って、その内容がそれまで習っていた心理学とはある意味全然違っていたので、それもすごく面白く感じた。心理学って、一般的には,実験や質問紙をやって、頭の中イコール心のメカニズムを探るというアプローチですけど、先生はその真逆の話しをされていて。例えば、LDと言われている子どもが,その場その場のコミュニケーションや状況によって,実は多様な姿を見せることを示した研究だとか,実験者や学校の教員の期待の裏側で,実は被験者も生徒も動いたりしているだとか。素朴実証主義というか,数量研究万歳といか,そういう従来的な心理学の考えについても,考えさせられるようになりましたね。そんな考えの方が,それまで知っていた心理学よりリアルに感じたし,既存の考えを揺さぶるところに面白みを感じました。つまり,学生という初学者ながらも,それまで心理学に感じてしまっていた色々な疑問に答えられるんじゃないかと,面白みを感じたんです。まあでも,当時はよくわからないことが盛りだくさんのまま,殆ど直観で「これだ!」という感覚でした。

そして,それがひいては、自分がもともと関心のあった,「そもそも人間とは何か」、「人間の精神とは,活動とは何か」という哲学的な意味での問いの探求につながる気がしたんですね。他方で、それまで心理を実践に生かすといえば臨床心理学という感覚で自分はいたのですが,臨床とはまた違う全く新しい形で,心理学を実践に役立てられるんじゃないかっていう、将来性や開拓のしがいもあるのではないかと興奮しました。そんな形で,思想的な面白さと、実践的な可能性をすごく感じて、この領域で頑張れないかなという風に思ったわけですね。高木先生の授業との出会いがなければ,今の方向に進んでいたことはありませんでした。さらにその高木先生は佐伯胖先生の血を受け継いでいますから,佐伯先生がいなければ,この領域を私が知ることもありませんでした。

それで,大学院は,同じ状況論,活動理論をご専門とされている,筑波大学大学院の茂呂雄二先生の研究室に入らせていただきました。これも,高木先生の授業で紹介して下さった,この分野を牽引されているという,茂呂先生の「具体性のヴィゴツキー」という本がきっかけでした。この本も非常に難解でしたが,心理学では見かけたこともない(笑),独特な文体と芯のある主張に,惹きつけられました。難しいのですが,吸い寄せられるような本です。

心理学は,自然科学へのあこがれが強いため,結構形式を重んじるところがありますが,茂呂研は,形式的なことはあまり厳しくなく(笑),むしろ議論の中身というか本質というか,例えば,面白い発想か,挑戦的か,どこまで深く考えられているか,といったところが中心でした。その分,他の研究室に比べ,形式的ミスというか,そういうのが多かった気もしますが(笑)。

ですが,高木先生の演習もそうでしたが,こういう本質的なところから入った方が,長い目で見ると,大事なその人独自のセンスを伸ばすことにつながるのではないかなと思います。形が整っているとか,流れがスムーズ,はきはきしている,とか,そういうのももちろん大事なのですが,そうした評価で殆ど判断してしまうのはちょっと表面的ですしもったいないかも…とは思います。

茂呂先生は知識を教えてくれたりとか,こうしろと指示をすることはあんまりなく,文献の紹介や問いかけ,或いは,無言の空気の厳しさ(笑)が中心でした。もちろん,アイデアの種のようなものは提案してくれたりもしますが,基本は自分で色々文献を読んで,自らがじっくり考えて形にせよ,というスタンスで,今もそうですね。逆に,かなり苦しかったし辛かったですが,一番大事なものを教えていただいたと思い,本当に感謝しています。

Q:そもそも心理学に興味を持たれたのは、いつ頃からですか?

それは、高校生のときからです。まぁ思春期なんで、いろいろ悩んだりするじゃないですか。そのときに、その悩みと勢いとで、小説とかを自分で書いてたりしてたんですけど(笑)。当時、人間ってどういう存在なのかとか、非常に薄い素朴なレベルで疑問を持っていました。ちょうどその頃、カウンセリングとか臨床が話題になった時期で、河合準雄先生なんかもテレビに出られていて、それで心理学という分野を知りました。そういう意味では、最初は臨床に関心があったんです。でも実際学部に入ってみて、いろんな心理学を学んでいくんですけど、面白いという反面,さっきしゃべったような疑問もあった。疑問を感じるというのも大事な勉強ですね。そんな中,3年生からのゼミで,ヴィゴツキー論の大御所の天野清先生にお世話になり、ヴィゴツキーの理論の奥深さを学びました。そして,高木先生の授業を受け…,という流れです。

「HIコースインタビューVol:1-② 香川秀太准教授に聞く」へ続く…


桜を眺めながら…

2013/4/14

桜の時期になると…

院生室に行くのが楽しみになります。

特に窓際の席。ちょうど目の前に満開の桜が。

窓を開けると、この眺め。桜を独り占めです。

キャンパス内には、他にも桜の木がたくさんありますが、

こんな間近で見られるのは、ここだけだと思います。

桜を眺めながら勉強できるのは、HIコースだけの期間限定特典です。