ダイナミカル宣言??:ダンスを考える

2001/10/12

これはいわゆるダイナミカル宣言とは違いますが、なんか関係あるんじゃないかと思っているので、こういうタイトルでいきます。

少し前の話ですが、7月に「ことば工学研究会」という会に出席し、発表をしてきました(私の発表はいつもの「機械とコミュニケーション」という機械音痴に関わることで、特に付け加えるようなことはありません)。この研究会はよく知らなかったのですが、いろいろお世話になっているNTTの松澤さんからの話だったので、非常に忙しかったのですが無理して出席しました。

この研究会の最終日の午後のセッションは私の発表の前に、朝日新聞の科学担当の方の話があり、大変に興味深かったのですが、さらに衝撃的だったのはお茶大の相原さんという方のダンスについてのお話と実演でした。相原さんのお話を簡単にまとめると次のようになります(あまり正確ではないと思う)。

  1. まずはじめにバレエがあった
  2. しかし踊ることが決まっていて閉塞感があった
  3. そこでモダンダンスが登場し、感情や心理を自由に表現する運動が広がった
  4. しかしモダンダンスも特定の感情と特定の動きが結び付きはじめ、徐々に様式化が進んだ、
  5. また言葉で表現できるならば体を動かす意味はない、という反省も生まれた、
  6. そこでコンテンポラリーダンスが登場した
  7. コンテンポラリーダンスでは、言葉で表現ができないものを表現することが目標となっている

なかなか話だけでもおもしろかったのですが、大変に衝撃を受けたのは相原さんのダンスの実演でした。わたしは発表者であったこともあり、最前列に座っていたので、彼女のダンスを本当に目の前で(2m以内)見ることができました。最初の印象はこわいでした。別に、暴力的な動きがあるわけではなく、また怖い顔をして踊るわけでもないのですが、とにかく見ている間中こわかった、そしてどんどん不安感が広がるという鮮烈な印象が残りました。気づいた特徴を列挙すると、

  • いつ始まったかわからない、
  • 気が付くと考えもしなかったところに動きがある、
  • 見たことのない動きがある、というか、そういうのがとても多い、
  • 動きのスピードが急に変わる、
  • 突然終わる

となります。ちなみに即興だそうです。その後、質疑応答があったのですが、まあ大変に理解が難しいものだったこともあり、「何を考えて踊ってるんですか?」などという、お決まりの質問がなされました。

この間、私は自分がなぜこわいと感じたのか、なぜ不安になったのかを考えていました。一生懸命考えていると、徐々に自分の気持が理解できてきました。それは「予測不能性」にあります。人間が自然な動きをするときの、その体のバランスというか、協調運動がないのです。たとえば、右手を前にだすという動作をするとき、ふつうは右肩が前に出るとともに、左肩が後方に移動し、体が腰の辺りからひねられたようになります。しかし、相原さんのダンスにはこうしたその他の部分との通常見られる自然な連係がないのです。そうした動きがなかったり、逆に予想もしない部分が動いたりします。

つまり、体のある部分の動きから予測できるはずの次の行為が全く予測できなくなるわけです。これは、こわい、ですよね。こうした動きを連続して見せられると、徐々に自分が当然の前提としていた体の動きもよくわからなくなってきます。日常性の中に埋没していた身体レベルの認識が崩れていくというのでしょうか。ハイデッガーは日常性の中に埋没している状態を被投(投げ込まれているという意味でしょうね)といい、それを乗り越え、自らを企投する(企てた上で投げ込むというような意味か)ものとして「死」を取り上げました。そこでは不安が重要な働きをすると述べています。つまり、死ぬことを考えたら、私が当然のことして行っている様々なことがいっさい失われてしまいます。だから不安になりますよね。私の感じた不安も被投の状態を認識する、ことから生じたのかもしれません。

これとともに「でたらめ」の意味というのもわかってきました。でたらめに動けば相原さんのダンスになるのでしょうか。むろん、そうではありません。人がでたらめに体を動かせば、必ずや定型化されたパターンの連続になるはずです。昔、山下洋補という、私の好きなフリージャズピアニストの本で読んだのですが、素人はでたらめに演奏することはできない、というような主旨の記述がありましたが、まさにそれだなぁと思いました。

もう一つ言っておかなければならないのは、美しいといことです。予測不可能な動きと言えば、ロボット(実は本物の人間のように、ペットのように設計しているそうですが)の動きを思い出します。しかし、これらの動きが予測不可能であるにもかかわらず、まったく美しくもないのは、ぎこちないからです。相原さんのダンスはぎこちとなさとは対極にあるものです。優美なのです、しかしわからないし、自然じゃないんです。

予測不可能な動きを組み合わせ、一つの体系を、美しく、つくりだしていく。そして見ているものの日常性への埋没を抉り出し、新たな問いかけを促す、うーーん、芸術家っていうのは、すごい。まいった。そういえば八谷さんもそうだったなぁ。からだは認知のダイナミクスの源泉となるもので、こうしたものを何とか取り込みたいが、先は見えないなぁ。


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