「心の教育」の中で、たくましく生きるガキども

2005/2/14

一部メディアや政治家などが、近頃の子どもはなっとらん、バカだ、学力低下だ、礼儀を知らない、コミュニケーションがとれない、ゲームばかりやる、性道徳が乱れている、と騒ぎ立てる。かわいそうなもんだ。しかし、子どもというのは大人からそういわれるものなのだから、これも人生と思って生きていくしかない。まあ、そういうこと言われたって、大半の子どもはそんなこと気にしちゃいないから、そもそもどうでもいいことなんだろう。

さて自民党の連中が騒いだおかげで、学校では心のノートというのが配られている。我が家の娘も小学生なので、このノートを「プレゼント」していただいた。そこから父と娘の会話。


父: 学校でどうやってつかってんの?
娘: 写してる
父: (うーーん、なんたることか、これじゃ教育勅語の世界じゃないかと憤慨しつつ)、で、どんなこと写してんだ?
娘: (言下に)知らない。
父: え?なんで?
娘: 意味なんか考えないよ、とにかく字を写すだけ。
父: それじゃあ・・・
娘: だってみんなそうやってる。XXX君たちなんか、もっとひどい。文の終わりから逆に写してるもん。

ちゃんと弾圧や意味ないことには無意識的に抵抗しているわけですな。エライ!そうでなくてはいけない。ガキどもが頼もしく思えてきた。

昔母親に教育勅語の話を聞いたときも同じようなことがあったことを思い出した。朝会ではいつも校長が教育勅語を仰々しく読むのだそうだが、この間は下を向いていなくてはならなかったそうだ。昔の子どもはハナ垂れ小僧が多かったので、下を向くとハナが垂れてくる。しかし朗読中は一切物音を立てることが許されなかったので、みんな必死にいつ終わるか(つまりいつハナをすすり上げられるか)をひたすら待っているだけだそうだ。で、「御名御璽」の言葉が発せられたとたん、全校中でハナをすすり上げる音が鳴り響くそうだ。つまり教育勅語は鼻をすするのを待つ時間だったというわけ。こいつもすばらしい。

ちょっとそれるけど、中学生版の心のノートでは、心の善玉、悪玉というのがあって、悪玉というのには、
・傲慢
・虚栄
・ねたみ
というのが3つのっているそうだ。これが3つとも非常によく当てはまるのはだれだろうか。うーーん、さすが!自分たちのことだから、何が心の悪玉になるかよく分かるってことか。連中も、けっこうreflectionは出来てるってことかな。


戯れ言 ]

2 件のコメント

  1. いとう より:

    へぇ~!昔は教育勅語を朝会で読んでたんですね!!教育勅語なんて子どもに読んでも意味プーだったでしょうねぇ。
    心のノートがどんなものかはよく分かりませんが、「心」なのに写してるのは意味が分からない。名前だけが一人歩きしてる感じで、意味がないですね。「心」のノートだったら自分の心を書くものじゃないんですかね?学校の教育って名目ばかりで、無駄なところが多いですよね。とにかくやればい、みたいな。その無駄を省けばきっとゆとり教育もいい方向に進みそうなもんですが。

  2. a.wakoko より:

    心のノートは、道徳の時間に使われているアレのことでしょうか?
    なんとなく、教師の指導力のなさも感じますが…
    ただ写すのは本当に意味がないですね。そんなことに力を入れるよりも、政治家の方たちにはもっと子供が外に出て遊べるような「親の教育」でもしていただきたいところだと思ってしまうのは、私だけでしょうか。