生田さんの「わざ」から知る

2005/5/1

スキル学習をやっているので、昔読んだ生田さんの「わざから知る」(東大出版会)を読み直した。昔はあまりぴんと来る話ではなかったが、今読むと非常に面白い点がたくさんある。

「型と形の違い」
「模倣、繰り返し」
「間」
「世界への潜入」
など魅力的なテーマが並んでおり、非常に引き込まれながら読んだ。ちなみに生田久美子さんは私がM1のころ、佐伯さんが慶応でやっていたゼミなどにもいらしてた方で、なんどかその当時お話したことがある。なんか、知的にも外見的もとても洗練された人だなぁと印象を持った。


確かにブロック作りの運動学習も身体運動なのだが、生田さんの取り上げている話はたいぶレベルが違っていて、彼女の本当にいいたい部分とわれわれが本当にいいたい部分が重なるところはそれほど多いというわけではない。

特に大きな違いは、芸の世界というのはやはり師匠や先生がいて、その人について習うという点だろう。だから教育哲学者である生田さんがおもしろがるのだとおもう。でも、われわれのスキル学習は自学自習の世界だから、見本はそばにはないし、entrainするのも先生にではなく、環境の提供する情報群に対してだろう。

ただ、別のこととの関連で非常に興味深かったのが、「わざ言語」という、師匠の弟子に対する言葉かけだ。これには比ゆ的なものが多用されるという。この理由を比喩の
・あいまい性、
・間接性
にもとめている。あいまいで、間接的であるがゆえに、それを言われた学習者は何を言われているのかがよくわからない。そこでその場の状況の中のさまざまな成分を取り出したり、捨てたりしながら、師匠が比喩で述べた状況を自己生成的にイメージ化するという。こうした働きがあるので、言語的な指導が有効になるというわけだ。

もうだいぶ長くなってきたので、別に書いたほうがいいと思うが、私は中京の諏訪さんと熟達、創造における言語の役割について、激しく対立している。この対立を止揚するきっかけが生田さんの中にある。うん、別エントリーで書きます、連休中に。


2 件のコメント

  1. Kohfuh より:

    こんにちは。こちらへの書き込みは初めてです。

    「型と形の違い」とありましたので、思わず、数学におけるlinearの訳語「線形」と「線型」の区別を思い出しました。
    数学者によっては、この違いを意識しない方も多いのですが、これはlinearに限らず写像(ないし関数や変換など)一般の認識と関係するものだと思います。

    というのも、何らかの変換を考えたときに、その変換によって個別に生じるものが「形」、その変換方法そのものが「型」に対応するからです。
    すなわち、過程と結論のどちらに注目するか、ということでしょう。

    これに関連して、(以前にこちらで紹介されていた)片山先生が「形と型の違い」を英語の「冠詞と名詞の可算性」に絡めて解説していました。

  2. HS より:

    生田さんが本で述べていたのも、まさにkohfuh君がいったのと同じラインのことです。物事を生み出す、生成系としての型、結果のとしての模倣ではなく原因レベルを押さえた模倣を生み出す型、そうした意味で「型」が重要視されています。

    これが可算性に関係するというのはちょっと私の英語力では分からないけど、面白そうですね。