発達における一対一対応仮説

2005/8/9

これは下のエントリーの神経科学会で発表したもののまとめ。長いですよ。


1つの発達段階には1つのストラテジー、あるいは概念が関与していると考える一対一対応仮説が当たり前のように用いられている。年齢を要因とする分散分析を行い、その違いを強調し、それが内的に安定したものに起因するという考えだ。発達段階などというのがそれのもっとも顕著な現れといえる。

しかし、そうではない。たとえば、ある課題を実施したときにある子どもが全問間違えると言うことはけっこうまれである(全問正解はある)。たとえば、保存課題を繰り返し何度も実施した研究では、1つのやり方で答える子ども(たとえば一貫して長い方が多いと答える)のはたったの7%、2つ以上のやり方で答える子は20%,3つが47%,4つは27%となる。学習によって変わったのだと言うことも出来るが、変わる芽が存在している子どもが93%もいるという事実は揺るがない。

こうした研究からSieglerはoverlapping waves theoryというのを提案した。つまり、ある特定の年齢段階において利用可能なストラテジーは支配的なもの、そうでないものを含めて複数あり、その利用の頻度が各年齢段階において異なるというものだ。各ストラテジーは強さのようなものを持っており、これに応じて利用の頻度が異なる。こうやって考えれば、発達はこの利用頻度を支配する強度を学習によって変更することとなり、発達的変化はなにも不思議なものではなくなる。

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ここまでで終わりかというとそうではない。このモデルは魅力的な部分もあるが、なんとも静的な感じがする。よりダイナミックな可能性を示唆する研究がGoldin-Meadowらによって示されている。

彼女の研究は以前にも紹介したことがあるが、ここで大事なのはGesture-speech mismatchだ。これはジェスチャーから示されることと、発話で示されることが不一致となる場合がある、ということを示す。たとえば、保存課題において失敗し、長い方が多いと答える子どもが、ジェスチャーではきちんと一対一対応を行っているなどの結果が示されている。すなわち、体と頭で違ったことをやっていると言うことだ。

この実験はoverlapping waves theoryをさらにダイナミックな方向へと拡張する可能性を示唆している。つまり、2つの拮抗する概念、ストラテジーが1つのタスク状況の中で同時に発火し、実行されているということだ。もっと比喩的に言うと、2つのストラテジーが自らのアウトプットを出すべく、競争しているということだ。そして一つは勝利し(?)、言語的なアウトプットを出し、破れた方は身体的なモダリティにそのアウトプットを流すということになる。

ここで1つ疑問が生じる。ミスマッチは答えの説明を求められたときに生じており、問題解決の最中に生じているわけではないという可能性だ。とすると、説明モードの時にのみ別の概念も活性化するのであり、実際に問題を考えているときには活性していないという解釈も成り立つ。

しかしこの可能性は別の実験によりつぶされている。Goldin-Meadowらは上の課題を行う前に単語リストを覚えさせ、課題終了後に単語の再生を行わせた。もしミスマッチの子どもが解決の最中に2つの概念を発火させているとすれば、より多くのメンタルリソースをくうことになり、これは単語再生課題の成績と干渉するはずだ。実際に実験を行うと、ミスマッチの子どもたちはそうでない子どもよりも再生成績が劣っていることが明らかにされた。

2つの概念、ストラテジー、アイディアが同時に活性するというのは何も不思議なことではないだろう。たとえば、意思決定などを行うときには明らかにそうした事態が生じている。小島さんの「確率的発想法」のエルスバーグのパラドックスではこうしたことがおもしろい結果を生み出すことが報告されている。ただ、gesture-speech mismatchにおいて興味深いのは、自らが認識しているのは一方の概念だけで、もう一方は潜在的に活性しているということだろう。

しかしこれとても別に新しいアイディアではない。たとえばMinskyの心の社会というのはまさにこうした枠組みを述べたものであったし、よく用いられるニューラルネットにおいてもこうしたことはふつうに起きることだ(一方のノードが完全に活性し、もう一方は全くしないというほうがまれだろう)。

ただし、心の社会の示唆とも、またニューラルネットの振る舞いとも異なるのは、こうした負けた方の概念が実行されることが、次のステップへの「変化」の鍵となるというGoldin-Meadowの指摘だ。実際、ミスマッチをよく起こす子どもは簡単な訓練、フィードバック等で次の段階へと移行する一方、ミスマッチのない子どもたちはそうではないことが報告されている。

このように考えると、やっぱり以前に指摘した問題に戻ってくる。つまり平均値をその年齢段階の代表値として考える、そうした研究方法に大きな問題があるということだ。考えてみれば、非保存児のエラー反応が彼らの心の反映であり、正答は偶然であり、保存児の正答反応は彼らの彼らの心の正しい反映であり、間違いは偶然という前提はいかなる妥当性を持っているのだろうか。

こうしたことから、もっと変動、誤差、エラー、揺らぎ、逸脱、こうしたものに注意を向けねばならないことが導かれる。この観点からSieglerやGoldin-Meadowらがおもしろいのは、彼らは理由付け、フィードバック、繰り返しなど、一般にはデータを乱すと考えられている介入をさまざま行っているということだ。これらの介入はデータの分散を大きくし、うまく統計的な処理にかけることを難しくしてしまうと考えられてきた。しかし、変化という観点からすれば、こうした介入は必須のものといえるのではないか。またdominantな反応を指標とするのではなく、逸脱、揺らぎ、分散を指標とする分析を行えば、それなりに数量的な分析も可能になる。たとえば、私たちの洞察実験では「逸脱率」というのが基本的なデータとし、きちんとした分析が可能になっている。

Study errors, variabilities, fluctuations, and deviations very carefully, or you miss the important clue to solve the problem of developmental change.

(これと絡めてU-shapeの話もしたのだが、別項で)


1件のコメント

  1. kohfuh より:

    これを読んでいて、ふと思い出しましたのでコメントします。

    確率・統計の分野だけでなく、代数の分野においても「逸脱」に着目することがあります。
    つまり、ある「良い性質」を持っているかどうかを調べるために、「その性質からどれだけ遠いか」という量がどうなるか調べるわけです。
    そして、その量が0だったとき、その対象は「良い性質」を持っていると結論します。

    ちなみに、「良い性質」というのは

    ・違うものを違うものに対応させる(1対1対応の少し手前)
    ・より単純な(それ以上分解できない)ものへと、さらに分解できる

    など、集合にしても写像にしても基本的なアイディアが多いです。