写真美術館

2005/8/11

東京都立写真美術館というのがある。家から歩いてすぐなので、時々寄る(個人的には、撮るのも、見るのも完全など素人だけど)。今「写真はものの見方をどのように変えてきたか」というおもしろい企画を10周年記念としてやっている。4部構成で第一部が黎明期、写真がどのようにして生まれ、用いられるようになってきたのかを取り上げ、第二部がその美術的な展開というものだ。7月のたまたま空いていた日にこの第二部にいってきた。


美術としての写真は、はじめまさに絵画のように写真を用いることが可能であることを証明しようとやっきになった。このピクトリアリズムでは、被写体の人物にポーズを取らせたり、まさに絵のような写真が残されている。しかし、この方向はあっという間にストレートフォトという別のアプローチによって取って代わられる。それは眼の代替物としての写真とでも言えるものだと思う。眼は装飾器官ではない、現実の写しなのだという、つまりストレートな見解に基づき、写真を固定化機能付きの眼として捉える立場といえるかもしれない。さらにその後は、写真でなければできない表現を追い求めるものであった。これはにレンズの工夫、ソラリゼーション、モンタージュなどのさまざまな技法を取り入れて、現実をシュールレアリズム的にデフォルメしていくというものだ。

これってまさにマクルーハンの活版印刷の分析がまるごとあてはまるよね。新しいメディアは古いメディアを模倣することから始まる。写本から活版印刷になったときに行われたのは、決して大量印刷ではなく、大量印刷には向かない美しい装飾がちりばめられた本を作ることだった。つまり、写本のように美しい装飾が活版印刷でできることを彼らは証明しようとしたのだ。写真もはじめはまさにこれと同じだったというわけだね。

こういう段階を経ると、メディアの持つ性質を最大限に生かし、他のメディアでは出来ないことをやろうとするようになる。これは以前に書いたダンスの歴史とも似ているなぁ。ちなみに、今のInstructional Designというは、ネットワークというメディアで、ふつうの学校、教室、先生みたいに出来ますよという段階にとどまっているような気がする。

おれにとってとても印象的だったのは、写真の瞬時的、全体把握能だ。部分部分にある程度までの統一性はあるが、構成されない、現実の多様性を一瞬にして、いや一瞬だからこそ切り取れるという、写真のすごさだ。私が特に打たれたのは木村伊兵衛の「那覇の市場」という写真だ。何かここには言語化や主題性を拒む、多様さ、複雑さ、猥雑さが、なぜか静かな形で、つまり非現実的に定着されている。不思議だ。

ちなみにおいしいベルギービールがなぜかある。昔ベルギービールなどが流行るかなり前の頃に、ずいぶんといろんなのを飲んだが、見たこともないものもあった。夕方くらいに友人と写真を見にいって、ベルギービールを飲みながら、語り合うというのもいいね(ただし高い)。


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2 件のコメント

  1. SUZUKI, S. V. より:

    今度行ってみたいと思います.ちなみに写真美術館のサイトのURLは http://syabi.com/ ですね.

  2. HS より:

    ありがとう、直しました。