みんなの中の堀江さん

2006/1/25

きわめてたくさんの人がライブドアの堀江さん逮捕について書いている。そういうことで、あの事件の感想をいろいろと書いてみたくなった。

やっぱり完全に理解不能なのは、あの、金に対する執着だなぁ(むろん、おれのように学問やっている人間の執着も彼には理解不能だろうけど、)。会社大きくしてどうすんの?資産世界一にしてだから何?という感覚ですなぁ。程度の差こそあれ誰にでも金に対する執着はあると思う。おれも金をもらえると喜ぶしね。でも、あそこまで金持ちになってもっとなりたいと思うところが理解できない。

と書いていたのだが、違うのかもしれない・・・・


金持ちになっていくと、見えてくるものがだんだん違ってきて、新しく見えてものに向かってまた進んでいくのかもしれないなぁ。地べたをはいずっている赤ちゃんは数メートル先しか見えないだろうが、立ち上がれば数十メートル先くらいまで見えてくる。するとそこまで行きたくなる(ちなみに歩き始めの子供は広い場所に出るとやたらと走りたがる)。そしてビルの5,6階に昇ればもっと先まで見えるし、六本木ヒルズ38階からはずっと先まで見えるんだろう、そしてそこに行きたくなるんだろうな、きっと。そうやって価値関数というか、評価関数というのが動的に変化するわけだ。これはTパズルと同じだ。

自分を振り返ってみてもこれは同じだ。学部時代に「出来たらいいなぁ」と考えていたことはだいぶ前に達成してしまった(学会で発表すること、論文を書くこと、本を出版すること、学生に講義をすること、辞典の項目を執筆すること)。しかしこれで隠居ということにはならず、新たな欲望がどんどん湧いてくる(もっといい論文や本を出すこと、学生が寝ない講義をすること、辞典はさすがにもういいけどね)。

そう考えるとホリエモンも身近になるわけだが、もう1つ違和感を感じるのは金の儲け方だ。要するに何も生み出していないんだよね。頭を使うという言い方もあるかもしれないけど、どえらくセコってなことで金儲けやっているわけですよ。今回の逮捕の件はもちろんだけど、株券増刷で一時的に株券が不足し、株価が上がる時を狙って売るとか。どんなにかっこつけても、このセコさじゃ、さまにならんだろうとオレは思うね。

しかしこれまた振り返れば(自分じゃないけど)、そんなセコい商売をやっているのはいくらでもいる。金融系なんかほとんどそれだよな。昔、娘に銀行って何みたいなことを聞かれたときに、オレは「100円玉を102円、103円、ひどいときには115円くらいで売る商売だ」と答えた。ちなみに130円くらいまでつり上げて売っていたのが、サラ金、街金というやつだよな(もうできなくなるだろうけど)。何も作らない、それ自体何も価値を生み出さない、そういう商売ということです。生命保険だってそうだ。あれは巨大なギャンブルだ。掛け金を払い続けて満期が来たらあなたの負け、満期の前にあなたが死ねば保険会社の負けということだ、このギャンブルは、我々が負けることは統計的には事前に明らかであること(たいがいのギャンブルは胴元が勝つからこれは当たり前か)、勝ったときには死んでると言うこと、そういう意味でいかさまというか、人倫にもとるというか、そういうギャンブルなわけですね(そういう見方が成り立つという意味であって、金融業が犯罪といいたいわけではないのは分かりますよね)。

そうやって考えてみると、堀江という人間はメンタリティにおいて特別なものを持った人ではないような気もしてきた。マスコミではやたら堀江のマイナスの側面に焦点を当てているし、私の学科の教員はオウムと同じだとか言っていたが(意味不明)、普通の人間のやっていることとほとんど変わらないというわけだ。もっともコンプライアンスにもうチョイ気を遣うと思うけど。

はじめに書こうと思っていたこととは全く別の考えが出てきた。うーん、これは外化による創発じゃないかな。


戯れ言 ]

1件のコメント

  1. 蓮華的日常 より:

    ホリエモンその後

    ホリエモンについては以前も書いたのですが、今後もおりにふれウオッチングしていくこ