metaとabstraction

2006/3/30

3/18にあったcatkat研究会で、メタ知識という言葉と抽象化という言葉を区別することが出来たので、いちおうメモしておく。抽象化された知識(abstraction)というのは、ある対象の属性をブランクにしたものとして定義することが出来る。人間の抽象化を考える際には、実際にはブランクにするための制約が必要になるのだが(完全なブランクには出来ずある範囲を設定するとか)、とりあえずはどれかの属性においてどんな値でもとりうるようにした知識を抽象化と呼ぶ。

一方、


メタ知識というのは、個別の知識の使い方についての制御的な役割を持つ知識を指す。メタ知識は言葉の普通の意味で抽象的であるが、上に述べた抽象化というものとは次元の異なる抽象性を持っている。抽象と言うよりも、入れ子といった方がいいかもしれないな。

昨年の認知科学会の冬のシンポジウムは「メタ学習」がテーマだったのだが、この2つが曖昧なまま語れていたような気がする。たとえば三宅なほみさんは主に抽象化という意味でのメタ学習を論じていたと思う。一方、銅谷さんなどは強化学習の制御パラメタと脳内物質の関係を論じているという意味で、メタ知識的なアプローチだったように記憶している。

ちょっと連想的になるのだが、このメタ学習というのは考えてみれば自分のやってきた洞察における学習にまさしく関係している。特に関係するのは、探索の範囲を決定するパラメタ、および学習率である。見込みのありそうなものに集中してアタックするのか、ある程度見込みのないものもとりあえず手を出してみてそこから考えるのかが、最初の探索範囲のパラメタである。学習率は失敗が起きたときに、その責任をどの程度負わせるかに関係する。あるオペレータが失敗に導いたら、思いっきりお仕置きして二度と再び(とまでは行かないが)悪さをしないようにしてしまうのか、そう言うこともあるよと寛大な態度で接して二度目のチャンスを与えるか、これが学習率である。

これはけっこう難しいのは誰でも分かると思う。探索範囲がある程度広くないと洞察はまず無理なのだが、うまくいきそうな場面になってもわざわざ見込みのあるものをやめて関係ないところを探索してしまうと、これまた洞察にはたどり着けない。学習率に関しても同様で、あんまり寛大にやっていると猛烈に時間がかかってしまうが、かといって思いっきり厳しくしてしまうと本来的には見込みのあるオペレータがたった一度の失敗のために適用できないと言うことになってしまう。これは人間の洞察を考えると非常に大事なんだよね。人間は初めのうちは自らのやっていることを適切に評価できない。だからいいオペレータを使って部分的にうまくいくようなことになっても、「ああ、まただめだ」と判断してしまうことがよくある。こういうことがけっこう頻繁に起きるんですね。すると、筋のいいオペレータはどんどん烙印を押されて、活性しにくくなってしまう。

ということで、場面に応じて学習率や探索範囲パラメタが変化するといいわけだ。たとえばはじめは広めに探索し、学習率を低めにして、先が見えてきたときには探索範囲を絞り、学習率を高めに設定するという感じですか。こういうことがうまくコントロールできることがメタ学習ということになるんじゃないかな、またそういうことが知識として定着すればこれはメタ知識ということになる。

ただし、上の文章の中で
・はじめは
・先が見えてきた
とか言ってるけど、どこまでが「はじめ」であり、何があったら「先が見えてきた」ことなのかを判別するのはとても難しい。そう言うことがあらかじめ分かっていれば、そもそもそれは洞察や発見が関係することではないのかも知れない。

どんどん連想的に話がずれてきたけど、メタと抽象、この区別、感覚的には分かっていたのだが、言葉にするとはっきりとする。うん、まあよかった。


2 件のコメント

  1. T.I. より:

    「メタ知識」,「メタ学習」といったメタ的なものは,人間の思考のダイナミックな側面にとっても重要なものなのかもしれませんね。
    例えば,例のクリティカルシンキングは,その下位の構成要素に論理的思考,目標の明確化,自己の思考過程の吟味だとかいったものがあると思いますが,こうした個々の下位の構成要素がたくさんできればクリティカルシンキングができるというものでもない。実際の具体的な課題を前にして,必要なスキルや知識を上手に組み合わせて利用するというメタ的でダイナミック(と呼んでもいいですよね?)な部分こそが重要なのでしょう。
    そう考えると,学習方略研究や思考法研究がどうも色々と難しいのも,そうしたダイナミックでメタ的な部分には触れられず,個別の技能や知識ばかり教授しようとしているのが理由の一つなのかもしれませんね。
    学習方略研究にもダイナミカル宣言が必要かもしれません・・・って書くと鈴木さん怒りますか?(笑)

  2. HS より:

    怒りはしないけど、萎える。よくわからないのだが、学習方略研究というのは、こんなやり方やってご覧、ってな感じで子供に教えて、出来たとか、出来ないとか、言ってんじゃないの?クリシンなんかも、なんかそれに近い話が多いよね。

    メタが創発してくればむろんそれはダイナミカルであると思うし、それが状況とかけ合い漫才的に働けば、対話的知性だけど。メタが出てきて色んなものコントロールして、はいおしまいっていうのはダイナミカルと対極に位置するものだと思う。

    こちらのメタと思っていることだって、学習者にはメタと受け入れられるかどうか分からないし、仮にメタで役に立つと学習者が考えても、それが思い通り使えるようにならないんだよね。ご指摘の通り、こういう時間を意識した変化の過程を追うのは面白いと思う。