創発と安定

2006/5/29

ダイナミカル宣言,対話的知性宣言などをしているわけだから,『認知はいつでもオンラインで生成される』などとを述べてきた.これはある意味で当然だ.我々が認知を行なう環境は絶えず変化しており,以前の何かと完全に同一ということは理論上あり得ない.だとすれば,そうした環境の微妙な変化にその場その場で対処する必要があるわけで,一見同じように見える行為もその内実はずいぶんと違っているわけだ.

それで問題はそこから先になる.では,状況の要請を受け,絶えず様々な微調整を行ない,創発している認知が,安定しているように見えるのはなぜか,という問題だ.以下,思いついたことをだらだらと書き連ねる.


こういうことを考えるようになったのは,様々な経緯がある.1つは,以前波多野先生に同様の指摘を発達心理学会のワークショップで受けたことである.また,池上さんに原生動物と人間との違いを訊ねられたことも関係している.

1つの考え方は,安定というのはすごくマクロに見たときにのみ存在しているのであって,微細なレベルで分析を行えば,それは様々変動を含んでいるというものだ.環境の様々な変動に対して,見かけ上同一の行為,認知を行なうためには,内部的には様々な認知資源を調整することが必要になる.簡単に言えば,見かけは同じだが,異なるプログラムが働いているということになる.こうした考えは,佐々木さんの立場と同じである.

もう1つの考え方は,茂木さんの2つのクオリアの区別だ.これの関連で,彼の最近の本などを読み返すと,感覚クオリアと志向クオリアを区別している.前者は,いわゆる丸ごとの経験のような,いわゆるクオリアを含んだものとなっており,志向クオリアとはこれを抽象化して,シンボル化したような,主観的な感覚に対応するものとなっている.人間は何らかの方法で,志向クオリア自体に直接アクセスする方法を身につけ,これを操作することが可能になった.志向クオリアはカテゴリー,言語,シンボルのような抽象化のようなものであり,感覚クオリアと結びついてはいるが,ある程度の自律性も持っている.こうしたものを扱うことが出来れば,ある意味安定した認知,行為が生み出される可能性がある.

ここで昔読んだ澤口さんの「知性の脳構造と進化」を思い出した.手元に本がないので,違っているかもしれないが,彼によるとある機能を実現する部位の近くにはそれとほとんど同じような部位ができるという(部位といっても領野とか,ブロードマンの分類よりももっともっと微細な,カラム(?)レベルのこと).澤口さんは,こうした類似した神経組織が生み出されることに人間的な,高度な知性の発現の原初形態を感じ取っている.

ここでポイントとなるのは,コピーだ.ただし,コピーとはいえ,神経組織なのだから完全なコピーはあり得ず,ある程度劣化,変容する.脳の構造が複雑になる連れ,様々部位に劣化コピーが出来上がることになる.また劣化コピー自体が同時発火したり,さらに別の部位にコピーを作ることにより,どんどん劣化が激しくなる.こういう劣化コピーの究極がシンボルであったり,言語であったりするのではないだろうか.むろん,劣化による利点も多々あるはずだが,操作性と言うのはその中でもとても重要だろう.

などと妄想を膨らましている.


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