カレー味の唐揚げ記念日だったら、どうだったか?

2006/7/14

創造はひらめきじゃないという話は,洞察の研究を通して繰り返し,繰り返し述べてきた.私の研究を知っている人は,耳にタコができているかもしれない.要は、創造の背後には繰り返しや、同じ試みや、類似したことや、失敗やらが大量に存在していて,そう言うものがクリエーションを支えているという話だ.これと呼応するような記事を知り合いが書いてくれている.これはコピーライターの話で、彼らのひらめき(?)は、数々のそれ以前の努力(何を語るべきかについての徹底した分析,大量のノート,さらなる修正)に支えられているということだ.

これを読んで,連想したのが俵万智の例の有名な歌について,彼女自身が書いたも文章だ.


有名なというのは,

この味がいいねと君が言ったから七月六日はサラダ記念日

というものだが、実はこの歌にたどり着くためには,かなりの努力が払われている.実は,はじめは

カレー味の唐揚げ君がおいしいといった記念日六月七日

という、何とも雰囲気のない、脂ぎった、暑苦しい歌だったのだ.しかしこれが俵万智の本当の体験なのだ.
これも含めて7パターンくらい作ったのだそうだが,どうもうまくいかない.いろいろ考えているうちに『カレー』が却下され、『塩味』をへて,『この味』になったそうだ.そうしたこと『唐揚げ』からも自由になり,『サラダ』が浮上したとのこと.なぜサラダであり,七月なのかは,サラダの新鮮さ,サ行の『さらさら感』に由来するものであり,七月七日でなく,七月六日になるかは,七夕ではあまりに出来過ぎということだ。ここらへんまでくるのに1週間くらい
これが書かれている「短歌を詠む』(岩波新書)には、短歌が決してその時の鮮烈な印象をポンと言葉にしたものではなく,よりよい言葉,雰囲気の作り方にのたうち回る過程であることが、そしてそれが重要であることが繰り返しかかれている.
創造ってそう言うことなんだと深く共感した次第だ.


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