プラネットアースの奇妙な生き物

2006/8/9

プラネットアースという番組を見ている。画像がとにかくすごい、大自然系、動物系の番組は好きなのでよく見るが、これはとにかくスケールが全然違う。また特殊なカメラにより、画像がきわめてなめらかで、はじめ見たときに何か変な気がするくらいだ。


ところで動物というのは、いろんなものを食ったり飲んだりするわけだが、なんで泥水飲んだり、調理しない肉をそのまま食べたり、魚を頭から骨ごと食べたりすることが出来るのだろうか。というよりは、人間はなんでそういうことが出来ないのだろうか。これは努力や、慣れの問題で克服できるのだろうか。もしそうやっても出来ないとすると、どうして出来なくなってしまったのだろうか(猿あたりはだいたいそんなこと出来るわけだよね)。

運動能力もそうだ。走力も、持久力も、腕力も、一定以上大きな体をしている動物の中では、人間はどれをとっても最低のような気がする。昔、犬山の京大霊長研を訪れたことがある。チンパンジーたちが飼育されているのは、お椀のような形をした広々としたスペースだ。彼らのいるところからだいたい10mくらい上に、見学できるスペースがある。普通の動物園と違うのはこの見学スペースは強化アクリルボードで保護されているところだ。なんでこんなものがいるのかと思って質問しようと思った矢先に、「ドーーーーン」というものすごい音が聞こえてきた。何度も続くその音は、見学者=不審者を察知し興奮したチンパンジーが、我々めがけて10m下から子どもの頭くらいある石を投げたのがアクリル板にあたる音だったのだ。少なくとも5kg位はあるものをほぼ真上に10m投げるというのはただごとではない。間違いなくオリンピックで砲丸投げの金メダルを取れるだろう。聞いたところによると、まあ樹上生活だから当たり前なのだろうが、チンパンジーは腕、手の力はものすごく、握手して本気で握ったら人間の手の骨は折れるだろうとのこと。

だいたい魚とか、は虫類とか、鳥とか、あそこらへんは口で餌を捕まえる。水に潜って、口で魚を捕まえられる人間ているのだろうか。仮に我々が虫が好物だとして、飛んできた虫を口でキャッチするなどということができるのだろうか。手だって無理だ。

こうやって考えてみると、人間ていうのはほんとうに情けなく、惨めな生き物ではないかという気がしてならない。ナマケモノとか、サンショウウオとか、カピバラとか、いったい何であんなかっこして、あんな変な生活送っている、気持ち悪い生き物(ファンの人がいたらごめんなさい)が生きているのか、などと我々は語るが、我々だって奴らから見れば同じようなものなのではないか。

こういうことを言い始めると、「しかし人間には知性が」というような結論にたどり着きたくなるが、知性は生存環境と切り離せないものであり、バッタの知性、ゾウの知性、サンショウウオの知性は、適応という観点からすれば人間に比べてことさら劣っているということは出来ない。バッタ、ゾウ、サンショウウオの環境では我々は生活できないのだから、その意味ではというか、彼らからすれば人間はまだ十分に進化していないという言い方(むろん誤用だが)も可能だろう。

人間の知性と呼ばれるようなものは、何に対する適応だったのだろうか。どんな動物も我々のような知性を持っていないとすると、我々の適応してきた環境はよほど特殊なものだったとしかいいようがないのではないか。社会とかいっても始まらない。動物だって社会を形成しているものは非常に多い(番組で見たのだが、リカオンなんか、ものすごく賢く、分業体制をしいて獲物を狙う)。だとすれば、人間の祖先だけが持っていた社会というのは何だったのだろうか。

人間的知性は言語だという人もいる。では言語は何に対する適応だったのだろうか。友人の岡ノ谷さんは(知性の創発と起源に書いてあることだけど)、性的ディスプレイだったのではという仮説を出している。つまり再帰的な言語を使えたものは、メスじゃなくて、女性とより交尾というか、セックスというか、そういうことが出来たということだ。性淘汰というものは、いわゆる適応とは全く別で、もう何でもありなんだそうだ。たとえばクジャクの羽なんかまさにそれだし、熱帯にいる信じられないほどド派手な鳥たちもそういう性淘汰の産物なんだそうだ。

じゃあなんで規則的な発声が女性に好まれたかということになるわけだが、これもよく分からない。たまたまなんだろうか。だいたいそんなもの好きだというのが、十分に変な生き物である証拠だ。ちなみにジュウシマツのメスはオスの規則的な鳴き声で発情するのだそうだ。他の動物もそうなのだろうか。もし仮にライオンが再帰的にほえるとメスは発情する確率が高まるのだろうか。うーん、分からないね。

分からないね、といいながら、自分で何を書いているのか分からなくなってきた。こういうどんどん話が流れていくようなエントリーを、作業場的外化と呼ぶべきだと、私のゼミの卒業生たちが述べている(反対語は展示場的外化)。


戯れ言 ]

3 件のコメント

  1. Kai より:

    そうなんですよ。そこ(人間の知性は何のためのものなんか)が悩みどころなんです。ちなみに岡ノ谷先生は言語=性淘汰説ですが、もっと過激に「知性=性淘汰」説を唱えている人がいて、Geoffery Millerといいます。”Mating Mind”という本が出ていて、翻訳もあります。邦題は「恋人選びの心」だったかと。

    Millerによると、知性=脳の安定した発達の証明となる。そして脳のような複雑な器官をキチンと発達させるには、栄養状態も良くなければならないし、病原体への耐性も必要である。つまり「高い知性=安定発達した脳」は、クジャクの尾羽と同じく、ハンディキャップになるから、性淘汰の対象になりうるというのです。

    Millerの説の巧妙なところは、「それだったらクジャクの尾羽みたく、オスだけで高い知性が進化するんじゃないか?」という反論に対して「高い知性を評価するためには高い知性が必要であるから、メスでも高い知性が進化したのだ!」と論破?しているところです。なんだかキツネにつままれたような心地ですが。

  2. HS より:

    こんにちはお久しぶりですね。Millerというのは全然知りませんでしたが、議論の過激さでは確かに岡ノ谷さんを越えていますね。こういう表現はあまりよくないかも知れないけど、上には上がいるんだなぁと感心(?)してしまいました。

    ただこれを聞いて岡ノ谷説は今のままだと女性が言語を持つ必然性が説明できないことにも気づきました(実際ジュウシマツはオスしか歌わないわけですからね)。

    それからハンディキャップ原理というのも、何でも極端なものはハンディキャップになり、結果として性淘汰の対象となるということになってしまうんじゃないのですかねぇ。たとえば身長が極端に大きいのもハンディキャップだけど、極端に小さいのもハンディキャップとなるわけで、結局何がなんだか分からなくなるような気もしてきますね。クジャクの例でいえば、全然派手じゃないメスみたいなオスがいたとしましょう。こんな惨めなオスなのに、ちゃんと子孫を残してきたということは、何かしらすごいことがあるんじゃないか(たとえば性豪?)、みたいなことは起きないんですかね。

  3. Kai より:

    返事がついているのを見落としていました。ちょっと煮詰まっているところですので、現実逃避的に書いてみます。

    ハンディキャップの原理はコミュニケーションの問題として考える必要があります。例えばAさんがBさんに「俺は強いよ」というメッセージを伝えようとした時に、どうすれば良いのか、という問題です。口で「俺は強いよ」というだけでは無意味で、なぜかというとそのシグナルには何のコストも掛かっていないからです。タダで発することのできるメッセージには信憑性が無いということです。メッセージに信憑性を持たせるためには、「強い者」にしかできないことをしてみせる必要があります。バーベルを持ち上げるとか。これが正直な信号と言われるものです。

    ハンディキャップの原理も基本的には同じことで、つまりオスがメスに「俺は良い遺伝子持ってるよ」というメッセージを伝えているということです。ですから、良い遺伝子を持っていないと極端に大きくなったり小さくなったりすることができないということであれば、それらが性淘汰によって進化する可能性はあるということになります。

    もちろん一方で、ハンディキャップが大きすぎて死亡率が上昇しすぎると、トータルの適応度は低下してしまうので、そこはバランスの問題と言うことになります。

    「性豪」の問題ですが、敢えて真面目に書きますと、これが生じるためには、まずはじめに、全然派手じゃないオスが子供を残してきたということが、メスに伝わる必要があります。しかし自然界では親子関係はそれほどはっきりとは分からないので(特に体内受精の場合の父子関係)、これはなかなか難しい話になります。

    性豪であることがメスに好まれるか?という問題については、これは実はSexy son仮説というものと関わってきて、理論的には、確か今は「いける」ことになっているのかな?すみません。最近の議論は追っていません。Sexy son仮説と言うのは、ハンディキャップ理論とは少々違い、「ある形質がメスに好かれるのならば、(ハンディキャップであるか否かを問わず)、その形質は進化する。なぜなら生まれた息子はその形質を持ち、娘はその形質を好むからだ」という話です。つまりセクシーな父親の息子はセクシーだから、セクシーな父親はモテル(セクシーな父親を好きなメスの適応度は高くなる)という、これまたキツネにつままれたような話です。