大学教育におけるリフレクションを促す授業実践:教育心理学会総会

2006/9/16

上のようなワークショップに出ました。うーーん、はっきり言って自分のあまりの勘違いにがっくりきた。要は、エンカウンターとか、グループディスカッションの話であり、いわゆる反省という話とは直接的な関係を見いだすことが出来なかった。いわゆる反省と自分が思いこんでいたことは、どうも例外的というか、認知科学会特有というのか、そういうものではないかと思い始めている。


しかしよくよく考えてみると、自分が想定したリフレクションというのは何なのだろうか、認知科学特有とかいっているリフレクションとはどういうものなのだろうか、そこら辺も気になってきた。いわゆるリフレクション、反省とは何だろうか。認知科学的な話と考えてみても、反省というのはあまり明確になっていない認知機能なんじゃないかな。

認知的に何かを考えるときには、その機能の、
・入力は何か、
・出力は何か、
・上の二つを結びつける処理は何か、
という問いの建て方をするわけだ。
こういう観点から考えると、入力はおそらく「現在の自分のあり方、考え方」あるいは「現在の理解状態」ということになるのではないか。出力は、うーーん、これがよくわからないけど、「よりよい自分のあり方、考え方」、たとえばより抽象的、メタ的な理解ということになるのだろうか。

さてここまで考えてきて、まず簡単に解けそうな話から始めると、入力が自分の現在の理解状態であり、出力がより抽象的な理解状態ということであれば、これは完全に通常の意味のインダクションだ。まあ、インダクション自体も難しい問題を含んでいるわけだが、比較的問題としては簡単。ただしその場合だと、これはインダクションと呼べばいいわけで反省、リフレクションという概念は必要ないだろう。

では、次に入力は前と同じ、つまり現在の理解状態であり、出力がメタ的な理解という場合について考えてみる。これはいわゆる二階のインダクションと考えることが出る。ある理解を生み出すときに自分が用いるオペレータ、方略のパターンを抽出するというものだ。これはある理解を生み出すというレベルの多様性が極めて高いので、インダクション課題としては前のものよりもずっと難しくなることが予想される。もっとも難しいというのは、客観的な視点からなのであって、主観的にはこっちの方が楽な場合もたくさんあるのだろう。これは前のものに比べて、だいぶ反省という用語に近づいているようだ。

この2つは、以前認知科学会の冬のシンポジウムで「メタとアブストラクション」で考えたことの延長線上にある。

ただ、こういうふうにまとめてしまうと身も蓋もない。そういうのは反省とは言わないというコメントを待ち、またそれから考えることにしよう。


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