教育再生会議

2006/10/12

教育再生会議とかいううさんくさい名前の会が作られる。いろいろな人が入っているようだが、これの座長に野依(ノーベル化学賞受賞者)さんがなった。朝日にそのインタビューが載っていた。なんとも微妙な話が多かったが、「対話力の育成が必要」というところにはけっこう共感した。


彼のいったことをまとめると、「若い人には対話力が欠けている。特定の閉じた集団の中だけで対話が行われ、外に開いていかない。これではまずい」というようになる。対話の重要性を強調する部分はいいのだけれど、「若い人云々」というのは、よくない。なぜなら、彼らは彼らなりにいろいろと対話しているからである。ファーストフード店で、喫茶店で、飲み屋で、キャンパス、そして講義中でさえ話している。対面だけでなく、携帯、メール、チャット、blogなど、ありとあらゆるコミュニケーションツールを使いまくって対話しあっている。そういう意味では若者は対話に無関心なわけではない。

野依さんの発言は、世代間を越えた、つまり野依さんとか私(並べちゃいけないか)とかの世代と対話できないということ意味しているのだろう。しかし、世代が異なれば対話が難しくなるのは当然だ。

また、対話が成り立たないのは一方の責任ではない。多寡はあるかも知れないが、双方の責任だろう。ということは、若い者と対話できない我々おじさん、おじいさんの世代も、対話する力がなくなっているのかも知れない。企業、組織でコンプライアンスということがこれだけ騒がれるということは、そうしたおじさん、おじいさんたちも身内の組織内のことだけを考えて、外への対話の力を喪失していることを示しているのかもしれない。

いや法令順守は昔からやってこなかったというか、昔の方ひどかったわけであり、対話力はそもそも我々日本人には欠けているのかも知れない。いや、そんなことはない、日本人だけではなく、よその国だってそれほど対話力があるとは思えない。ブッシュ大統領とか、金正日総書記とか、そういうのも致命的に対話力が欠けている。

だんだん話が逸れてきた。野依さんを批判したかったのではない。そうではなく、対話力の育成が大事だという指摘は大事と言いたいのだ。何か既にあるものを追いかける時代は終わったもうだいぶ前から未知の領域に我々は足を踏み入れている。すべてを分かる人はどこにもいない。。模範となる国も存在しない。その一方で少しならば分かっている人はいろいろなところに分散した形で存在している。こうした智恵を結集して、新しい時代に立ち向かう必要があるだろう。

もうおわかりだと思うが、こうしたことは単に部分的知の寄せ集めだけではだめだ。そこに密な相互作用=対話が必要になると思う。部分的な知から新しい知識を生み出すための対話の条件、そうしたものを本気で考えなければならないのだと思う。そういう意味で野依さんの話には大賛成だ。

ただそこから先に大事なことがある。「育成する」というときに、育成するもの、つまり対話ということの中身が分からなければならないということだ。そして多くの研究者により対話や談話、議論についての重要な知見が蓄積されているが、残念なことに、十分な域には達していないと思う。現象が完全に解明されないうちは教えてはならないなどと教条的なことを言う気はないが、研究も大幅に拡大して行っていく必要があるだろう。

こうした文脈から考えると、ジグソー学習の研究なんて言うのは、この問題に対して直接的にrelevantではないかな。

あとは気になったところをつらつらと。

「美しい国には共感する。でも抽象的なので具体化するのがこの会の役目」
美しい国はけっこうです。どんな国の政治家もこういうのを目指していたんですね。ナチス、ヒトラーもまるで同じ文句を使って人類史に残る犯罪を犯しました。どんな美しさが必要かがポイントですね。他国のことを考えずに、自らの利点だけを並べ立てるようなそうした態度はもっとも危険だと言うこと。身内だけで「俺たちってすごいんだよね」なんて思ってたって意味がない、どころか危険だ。

「日本人として最小限の規範は必要。それは法律ではなくて、徳律によるべきだ」
人の内面に踏み込む法律は不要です、その意味で途中まで納得。問題は徳律という言葉。これは何でしょうか?

「基礎学力の話は少しテクニカルになりすぎている。真・善・美にかかわる創造力、文化力が大事だ」
おっしゃるとおりだと思います。後半の方の中身をきちんと整理しましょう。

「日本人は自虐的になっているので、誇りと自信を持たせたい」
本当に自虐的になっているのかなぁ。もしこれが例の戦争責任の話なのであれば、おかしな議論だと思う。間違ったことを認め、相手に申し訳ないと思うのは自虐でもなんでもないですよ。でも、野依さんは違った問題をのべているのかもしれないな。

「奉仕の精神は大事だと思うが、それを大学入学までの間にやるのがいいのかは分からない」
その通りですよね。世の中で大事だということを教育のシステムに安易に取り込むといつも「ごっこ」になってしまう。奉仕ごっこはやめましょう。


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2 件のコメント

  1. Kai より:

    個人的には、自然科学で名を上げた人が、老人になって「人間」や[社会」を語り始めた時には、生暖かく見守るように心がけているのですが、そういうの好きな人多いですよね。あの人とかあの人とか、あの人もそうだったなぁ。みんな、自分の専門を扱ってるときには立派な科学者だったと思うのですが、なんでこういうテーマだと、ロクに勉強もせずに好き勝手語るのでしょうか。(野依さんがどうかは、インタビューをを読んでないのでノーコメント)

    という話を以前に後輩たちとしていて「自分はああいう老人にはなりたくない」と言ったところ「幸せな晩年じゃないですか」と返され深く納得しました。耄碌して好き勝手しゃべっても、周囲がお追従してくれる辺りを目指してがんばろうかと思う昨今です。

  2. on our way home より:

    僕は「最近の若い人たちは」という物言いが嫌いだ

    Hiroaki Suzuki’s Blog:教育再生会議http://edhs.ri.aoyama.ac.jp/~susan/archives/2006/10…

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