玉川でのSIGLAL

2006/12/12

認知科学会学習と対話研究会が12月9日に開かれたので出席してきた。今回は大沢さん(東大)と三輪さん(名古屋大)の2人のスピーカによる、チャンス発見に関するものだった。


大沢さんはご自分が何年も前からプロデュースしているチャンス発見のためのツール=keygraphとそれを用いた実践例を数多く紹介していた。だいぶ前にcatkatに来てもらって話を聞いたときから、格段に応用分野とそこでの重要な知見が得られていて、勉強になった。品のいい発表で自らのツールの自慢とか、成功例のオンパレード(大本営発表)のようなものではなく、ツールの所産と人がどのようにコミュニケーションをしていくのかについて丁寧な報告がなされていた。

非常にリアルで、リッチなデータをお持ちのようで、こうしたものが共有されることにより、この分野はさらに大きく展開する可能性があると思った。特に、共同性に関わる問題、keygraphのプロダクトと多数の人間の相互作用、視点など、いろいろデータを見てみたいと強く感じた。

一方の三輪さんの発表は昔からよく知っている。また細かい部分の違いはあるけど、私と三輪さんは洞察問題解決について同じ方向に向かってお互い歩んでいる仲だと思う。これまでも何回か書いたけど、「洞察は突然現れるのではないよ」ということだ。特に洞察を阻む制約の緩和は線形ではないにしろ徐々に進むということについては一致している。今回の発表もこの筋の話だった。

ただし三輪さんは制約緩和とは別に「気づき」、「評価」、「検証(だったっけ?)」があるという話を今回した。オレの立場は気づきはもう潜在的に、行動的になされているのであり、それを傍観者(?)として観察している意識系が後付け的に「気づいた」と錯覚しているというものだ(これは前野さんの話と同じ)。

ということでここらへんをかなりしつこく質問した。確かに洞察問題というのも1種類というわけではないので、オレの説が直接的に正しいことが明らかな問題群もあるし、三輪さんの「気づき」が重要と思えるような問題群もある。たとえば三輪さんの用いた課題というのはある数字の列が前野数字に3を加えたものということを発見する課題であり、こういう3をたすみたいなことはいくら何でも潜在というわけにはいかないのではないかという反論が成り立つ。

しかし、まあ暴走族系のオレとしては「いろいろありますね」ということで終わりにしたくないので、潜在レベルの気づきが「洞察の瞬間」を考えるときには重要だという主張をした。たとえばSieglerが子どもに行った洞察問題の話では、かなり意識的な把握が必要なようなきがするのだが、実際には意識的な気づきのはるか前に洞察を現す行動的な変化が現れている。

というようなことで、オレとしてはやはり潜在、無意識にこだわって、また潜在と顕在、意識と無意識の乖離にこだわって研究を行っていきたいと考えている。もっとも最近読んでいるGibbsの話ではそんなに乖離はしていないのだ、乖離を主張する研究の流れから、統合へとシフトしているというような指摘もある。まあ、ここらへんは双方ががんばって各々の主張する認知機能の役割を徹底的に解明していくことが必要になるだろう。

今回は主査の大森さんが玉川に移られたということで、玉川が会場だった。通過したことは何度もあるのだが、はじめてキャンパスに入ってものすごい広いのと、建物がたくさんあるのに驚いた。立派なキャンパスで、さらに大森さんとか一流の研究者を何人も呼んできて、COEもとってるし、すごい大学だ。


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