ニューオリンズ・トライアルを見て裁判員制度を考える

2009/2/10

日本でも裁判員制度がいよいよ始まる.詳しいことはよく知らないが,全体としてみれば裁判官が一人で決定を下すよりもよい決定が出来ると思う.日本の刑事裁判では一度起訴されたら無罪になる確率は1%以下である.これはむろん警察や検察がしっかりとした証拠を集めて起訴していることを示すのだろうが,検察、警察,裁判所が一体化している危険性をも示唆する.一般の人が裁判に加わることにより,こうした危険性を減ずる可能性が拡大すると思う.

と考えてきたのだが,昨日「ニューオーリンズ・トライアル」という映画を見て,恐ろしい可能性に気づかされた.この映画は危険性が極めて高い銃により殺害された人の家族が、その銃の製造メーカを訴えることから始まる.銃メーカーはこれが有罪とされてはたまらない.そこで特別な会社と契約し,自分たちに有利な判断をしてくれる陪審員を集めるとともに、不利な判断をしそうな陪審員を排除,あるいは恫喝させる.こういう恐ろしい話だ.映画自体はハッピーエンドなんだけどね.

アメリカに本当にこういう陪審員ビジネスがあるのかどうかは知らない.所詮映画ということになるのかもしれない.ただ、O. J. シンプソンの事件などでも知られているように,誰を陪審員にするかで壮絶な戦いが、検察と弁護側で行われているのは事実だ.

日本の司法制度はよく知らないが,こうしたことが起こる危険性はどれほど考慮に入れられているのだろうか.おかしな陪審員ビジネスがはびこる可能性はないのだろうか.

こうやって考えると他にもいろいろと気になることがある.たとえば、裁判員として参加した人が有罪とされた人に逆恨みされ、危害を加えられるなどという可能性はないのだろうか.特に、暴力団など組織的な犯罪を行う集団の裁判ではかなり危ないことが生じるかもしれない.


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