繁桝先生の退官記念パーティー

2009/3/29

昨日(28日)に,東大の繁桝先生の退官記念パーティーに出席した.参加者100名超の盛大なパーティーだった.場所は日比谷公園内の松本楼というところ.ここは年末(?)あたりに安いカレーを出すというイメージしかなかったのだが,むろんそれは私の無知のせいであり,立派なところであった.

繁桝先生は日本におけるベイズ統計学の権威であり,心理学,教育心理学,統計学,意思決定などさまざまな分野の一線で活躍されてきた方だ.初めての出会いは,私が東北大学院受験の時に,受験者対面接官という形のものだ.何か質問された記憶はあるのだが,むろん覚えていない.その後,東京工業大学の助手時代に再会し,数年間くらいはほぼ毎日のように顔を合わせた.その後先生が東大に移られた後は,非常勤を頼まれて,それ以来半年に一度はお話しをするという形でおつきあいをしてきた.

先生の特徴はネガティブな,あるいは後ろ向きな発言,態度がないということではないかな.悪い面ではなく,よい面を見つける,悪い面しかない場合はそれを忘れる,あるいは無視する,というのが,私の印象だ.だから,人を貶さないし,だめなことを延々と議論することがない.また自分の正しさを人に押しつけないというのも,印象的だ.

当日配布された文集の中に,先生についての優れた観察や,おもしろいエピソードが満載されていた.その中でも繁桝先生をよく表す言葉が書かれていた.「桃李もの言わざれど下自ずと蹊をなす」というものだ.これはなんとも,私の繁桝先生に対する印象をよく表す言葉だと思う.


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E-learningについての反省

2009/3/29

E-learningという分野について完璧に誤解していた,ようなので,ここに反省を込めて書く.

「E-learningが・・・だ」という言い方はやめた方がよい.これはE-learningが完全に一つの領域として確立している,あるいはまもなく確立するからだと思う.

正直言って,E-learningについてあまりいいイメージを持ったことがなかった.何となくコンセプト自体が陳腐だとか,いわゆる工学手法により教育を画一化するとか,そういうイメージを持っていた.それはそういうE-learningを多数見てきたからだ.

しかし27日に私が代表をしている科研費の研究会で,電通大の植野真臣さんの研究を聞いて,正直打ちのめされた.Vygotkyan,協調などの学習科学のコアコンセプトが,LMSとともに見事な形でまとめ上げられていた.植野さんは確率のプロ中のプロであり,特にBayes統計学の先端的利用と理論の拡張で国内外ですばらしい業績を持っている理論家であることは知っていた.しかし,こうした知見をさらに教育のために展開し,見事なE-laerningのシステム,SAMURAIを構築されている.これはもうかれこれ10年前からやっているそうなのだ.これを知らなずに彼の話を聞いた参加者は打ちのめされ,自分の不明を恥じた.知っている人に聞くと,植野さんがこれだけやったので,LMSはみんな手を出さなくなるくらいになっているとのこと.よくわかる.

確立した分野というのは,それ自体がいいとか,悪いとか言うことはほとんど無意味だ.たとえば,哲学はだめだとか,認知科学は未来があるとか,そういう言明は基本的に意味がない.このような言明は「悪い哲学研究を見たことがある」とか,「よい認知科学の研究に触れた」程度のことに過ぎない.

私たちのやることは,その分野自体がどう思われているのかではなく,そこでBestな仕事を目指すことだけなのだ.そういう,ある意味当たり前のことに気づいた次第.


etc, 教育 ]

侍ジャパン

2009/3/16

WBCの二次予選がいよいよ始まる.ほとんど興味はない.侍ジャパンという名前になっているそうだ.なんだ,それは,単に「日本」でよいじゃないかと思っていた.

しかし実はこれについて原監督のおもしろい話しがある.これまでの恒例では監督の名前をつけた「監督名ジャパン」というのが一般的だった.しかし,「原ジャパン」というのはなんともおこがましい,自分はそんな人物ではないと固辞し,それで周りの人が考えたのが「侍ジャパン」というらしい.

いつのころからか,日本代表のチーム(サッカー,野球,バレーボール)を監督名+ジャパンとするようになってしまった.これはどうも変な話だと思う.監督も含めて上に立つ人が組織にとって重要なのはもちろんだ.しかしチーム全体の功績や失策が一人の人間に集約されて語られるように感じられ,どうも違和感が強い.なんか底の浅いトップダウン,リーダーシップ待望論みたいなのが背後に見える.指導者さえよければなんとでもなる,というような,そういう感覚だ.


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今年度のいろいろ

2009/3/12

今年度(2008/4−2009/3)前半はあまりたいしたことをしなかった.そのおかげで,特に夏休みはオリンピックもしっかり見たし,水泳もほぼ毎日出来た.しかし後半はそのつけというか,けっこういろいろな仕事をしたように思う.

10月くらいまで慶應の渡辺先生の編集する英語の本に載せる,創発認知の原稿を書いていた.英語は日本語で書くのに比べて5−10倍程度の時間がかかる.そして書いたものを読み返すと,これまた5−10倍程度落ち込む.ふぅぅ.その後,ある本の解説を頼まれてその原稿を1,2週間で書いた.

それから,「対称性」に関わる認知科学の論文を書いていた.対称性というのは,簡単に説明しがたいけど,主に子供の言語獲得や,動物の認知,学習に関わる現象だ.このページに,この特集の企画者の説明がある.ここらへん何も知らないので,10,11月と一所懸命勉強しながら原稿を書いていた.途中から大変に楽しくなり,かなり満足のいく原稿が書けた.

これが終わると,昨年度まで青学の総合研究所のプロジェクトとして行っていた「大学生のレポートライティング力向上」の最終報告書を仕上げていた.これはまもなく本として出版される.また別の機会に記事を書くと思うけど,「学びあいが生み出す書く力」(丸善プラネット)というものだ.これのために2ヶ月ほど,レポートライティング漬けになって,原稿を書いた.

これが何とか目鼻がついてきたのが1月中旬,その後放心状態1,2週間くらいで,学期末試験採点,入試と続き,2月中旬あたりから,今度は科学研究費の報告書作成となる.この研究は,対称性でもないし,レポートライティングでもなく,サブリミナル刺激を用いた洞察問題解決研究というものだ.これがやっと今日完了.印刷屋に渡す.それにしても,我が研究室の卒業生の努力には頭が下がる.彼らの努力と知性がなければ,この報告書は書けなかった.

こういうふうに相互にあまり関係のない仕事をしていると,切り替えというのが大事になる.仕事Xは終わり,モードチェンジして,仕事Yという感じだ.だいぶこういうことも上手に出来るようになってきたと思う.

ただ弊害というのもある.切り替えをしすぎて,前の仕事をほとんど忘れてしまうというのがそれだ.自分が何をそこで書いたのかを忘れてしまうことが多くなった.そもそも書いたこと自身忘れていることもある.対称性の論文はまさにそれで,数日前に学会誌「認知科学」が来て,ぱらぱらめくっていたら,自分の名前があって一瞬だけ驚いた.


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黒板はなぜ教室に入って右にある?

2009/3/9

ふと気づいたんだけど,学校というのは廊下のドアを開けて教室にはいると,黒板が右側にあることが多いと思うのだが,どうだろうか.薄れる記憶をたどってみると,自分が通った学校は小,中,高とすべて廊下から見て右側に黒板があった.ちなみに学校は特定の一地域というのではなく,札幌,福島,静岡,富山といろいろな地方のものです.

なんで廊下から見て左側に黒板のある教室はない(あるいは極端に少ない)のだろうか?


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