The New Unconscious (2): 意識は何のためにあるのか by Bargh

2010/5/31

この本の第2章はこの分野をリードする研究をしてきたことを私でも知っているという、John A. Barghによるもの.行為が意識とは独立に行われるという知見が彼の研究分野である社会心理学だけではなく,神経科学や,認知心理学でも得られているということを数多くの研究から明らかにしている.これらの知見がわかりやすくまとめられている.

Barghらの研究の驚くべき点は、被験者が意識しないような刺激,あるいはそもそも意識できない刺激(サブリミナル)を提示することで,その後の行為が無意識的に、そして顕著に変化するという点である.たとえば「協力」(あるいは「敵対」)という単語を事前の課題(たとえば語彙判断課題とか)で提示される.その「後に他者との協力あるいは競合が必要となる課題を実施する.すると、「協力」に関連する「仲間」とか「援助」などの単語を事前課題で見た人たちは協力的な行動が増加し,敵対的な単語を見た人たちは敵対的な行動が増加するという.老人関連の言葉(白髪とか杖)を提示すれば、その後に行われる記憶テストの成績が低下したり,実験終了後にドアまで歩いていくスピードが遅くなったりする.

下條信輔さんの本で詳しく紹介されていたはずなので例はこの程度とするが、これはかなり驚くべきことである.これと類似したものに,プライミングを用いた潜在記憶研究がある.ただしこれは事前課題で提示した単語に意味的に関連した言葉の認知スピードが速くなるとか,想起しやすくなるというものであり,意味ネットワーク、活性拡散のようなものを考えれば、それほど不思議という感じもしない.一方Barghらの研究では、行為自体が変化してしまうというところが謎なのだ.「協力」と言われただけで実際に協力的になるとか、「白髪」と聞いただけで行為のスピードが落ちるいうのは単なる意味ネットワークと活性拡散では到底説明できないだろう.

これについてBarghは、そもそも言葉というのは個体発生の初期においては行為と結びついたものであり、そうしたことが上記の実験の結果の一員であると述べている.この解釈はちょっと無理があるように思う.この解釈に従えば「協力」が協力行動を促すのはまだわかるとしても,白髪が記憶力の低下や行為のスピードの低下をもたらすことの説明は難しいのではないだろうか.他の本に出ていた「スーパーモデル」がクイズ課題の成績を劣化させたり,シューマッハが読解スピードを上げるなんて言うのも無理だと思う.

もう一つ大変に面白い問題提起と仮説が述べられている.これは意識の役割に関してである.意識を通さないでたいていのことが行われるとすると(第1章のものそうだけど),そもそも何のために意識なんてものがあるのかという疑問が当然のことながら湧いてくる.

Barghはこれについて、意識はさまざまな心的状態や活動を抽象的なレベルで統合するという役割を持っているという.(これは自分が考えた例なのだが)「男」という漢字を初めて覚えるとき、字のパターンをなぞるという、感覚と運動にのみ依存した覚え方もあるのだが,「田」と「力」だと意識的に分析し,これらをあるパターン(上下)で統合する覚え方もあるだろう.つまり最初のものはある環境刺激から部分的な行為が誘発され,その行為の結果に次の行為が誘発されという形,つまりパケツリレーというか,ドミノ倒しというか,そういう方法でしか物事は達成されない.しかし,意識的な把握があれば環境や行為の結果の時間的順序に依存せずに,一挙に物事を達成することが可能になるということだ.さらに、これらをチャンク化して、意識への負担なしに即時実行可能にする.そうすると「勇」という時を覚えるときには「マ」と「男」(間男?)として覚えてしまうこともできる.Donald(2001)は

Whereas most other species depend on their built-in demons to do their mental work for them, we can build our own demons

という形でこのことを述べているという(demonというのはチャンクと読み替えてもよい).つまり上の例で言えば「田」と「力」というdemonから、「男」というdemonを生み出すということになるだろう.

さてこうして考えると、とても逆説的な結論が出てくるという.それは「意識は無意識的に実行できることがらを集め,まとめあげ,これら全体を無意識的に実行可能にするために存在する」というものだ.別の言い方をすると,現状の(意識的?)分析から既存のチャンクを呼び出し、このチャンクと現在の情報を組み合わせたチャンクを作り,これを一発で(つまり無意識のうちに)実行可能な形に変化させる、ということになるのかもしれない.

なかなか面白いアイディアではあるが,いくつか疑問もわいてくる.

  1. なぜ新しいチャンクの生成には意識(特にawareness)が必要になるのだろうか.無意識のうちにこうしたことが出来る可能性はないのだろうか.
  2. 動物もこうしたことを日常的に行っているような気がするが,動物にも意識は存在しているのだろうか.

1も2も難しい問題だと思う.


潜在 ]

The New Unconscious (1):意図なんか要らない by Wegner

2010/5/17

第1章のWegner, D. M.によるWho is the controller of controlled processes?を読んだ.ポイントは何かというと,意図が行為を引き起こしたというのはそういう知覚を行ったということであり,実際にそうであるというわけではない、ということになる.つまり、意図を行為の原因とするのは,習慣化された因果知覚に過ぎないという、驚くべき主張である.

因果知覚は

  • 直前性(priority)
  • 一貫性(consistency)
  • 他の可能性の不在(exclusivity)

によって影響を受けるという.つまりある出来事Xが別の出来事Yの原因となるためには,「XがYよりも前に起き(prior)、XがYと意味的に関係しており(consistent)、他にそれらしい原因がない(exclusve)」場合ということになる.昼近くになって急な腹痛に教われたとする.するとその原因は「朝に食べたものではないか」と考える.これは朝食が腹痛よりも前におき,食べたもので腹痛が起こるという意味で一貫している.その間に何かを食べるチャンスはなかったとすればこの可能性はさらに高まる.一方,朝食と腹痛の間に何かを口にしていた場合には朝食ー腹痛間の因果関係は弱まる.

こうしたことは意図と行為の因果の間にも成り立つという.たとえば実際にはまったく自分の意志は介在していない現象(動かしていたマウスが止まる)に対して,その直前にそれらしい情報を与える(特定のポイントをさす単語を与える)と自分が止めようと思って止めたと誤解してしまう.二人羽織のような状況で、特定の場所に手を動かすような指示を聞き,その後に他者の手がその場所に移動すると、自分が動かしたような気がする.つまりいずれも自分が行った行為ではないにもかかわらず,その行為の直前に関連することがらが意識されると、そのことについての意識が行為の意図(=原因)とされてしまう(constructされる)のである.

もう少し別の観点からそれを述べると,以下のようになる.実際には以下で示すように,行為の原因は意図とは別のところに存在する.しかしこの行為に時間的に近接し,かつ意味的に関連した思考が発現する.このようなとき,ここの思考は行為の原因,つまり意図とされてしまうというわけである.

思考の原因ー>思考の発現

↓ 見かけの因果

行為の原因ー>行為の発現

具体例を出して考えてみる.煙草を吸うという行為が行われる.実は煙草を吸う行為というのは,身体のさまざまな物理的状態(血中のニコチン濃度が減ったとか)、環境の状態(そばにタバコがあるとか)などから、機械論的に決定されている.これが真の因果関係である.しかしここでタバコが視野に入るとか、飽きてきたとか、眠くなったとか、そういう心理状態があり,それが「煙草を吸いたい」という思考を生み出す.すると、そうした思考は煙草を吸うという行為とほぼ同時に発生し,意味的に関連しているので、(また他のそれらしき要因もないとすれば)その思考が行為の意図とされるというわけである.

それでは意図や思考の役割とは何かというと、それはある行為とその結果のpreviewを提供することにあるという.人間は経験を通して行為とその結果についてのさまざまなエピソードを貯えている.こうしたエピソード記憶が喚起され,その結末までを見通すことが出来るという.

で、彼の言葉でまとめると,

(mental causation) is a construction nonetheless and must be understood as an experience of agency derived from the perception of thoughts and actions, not as a direct perception of an agent.

となる.

まあ、これほど大胆な話はあまり聞いたことがない.行為の原因が意図ではないとすれば、あらゆる犯罪は過失によるものであることになる.どこか変だと思う.しかしこうした枠組みを使えば,物質と精神をつなぐという難問の一部を避けることが出来るはずだ.

その他、この章を読んでいて気に入ったのは

Volition is an emotion indicative of physical change, not a cause of such changes (Huxley, 1910).

Conscious will can be understood as part of an intuitive accounting system that allows us to deserve things (p.31)


潜在 ]