問題の見つけ方(1)

2011/4/15

下書きのまま放っておいたのを忘れていました.大分前,2010年の12月頃に書いたものですが,一応載せます.

今日,年末かつ祝日にもかかわらず,私の所属しているヒューマンイノベーションコースの大学院入試説明会があった.昨日夜遅くに渋谷の街を歩いていたら,そこら中忘年会で山のように人がいた.こんな日の翌日に説明会に来る人なんかいるのだろうかと心配したのだが,10名以上の参加者があり,コース教員一同胸をなでおろした.

今回は,修士論文の書き方について入学希望者の方達へ話す役になった.前日に準備をしていたのだが,大変に忙しい中の合間を縫って書いたこともあるのか,今朝これを読み返したら全然面白くない,こんな話したくない,(おそらく聞きたくもない)と,かなりめげてきた.ということで急遽,方針大変更し,話を作り上げた.話の大半が表題にある「問題の見つけ方」となってしまい,大変に不完全で結局修論がなんなのかは具体的に説明しなかったのだが,同席した何人かの先生から褒めていただき,Blogにアップせよということだったので,簡単にまとめる.

修論とは「プロである(あるいはプロになりたい)自分が,他のプロたちに対して自信を持って主張できることをまとめること」となる.別の言葉で言えば,学会あるいは学問のコミュニティーに対して知的貢献をせよ,となる.

修論は問題を発見することと,それをある方法で分析していくことになる.つまり,問題発見,方法のこの2つが必要だ.さて問題発見だが,こいつがことのほか難しい.これがわかれば,もうしめたものであり,研究の6割くらいは終わったと言ってもいいのではないだろうか.初心者や研究の初期段階でよくあるパターンは2つである.

1つめは,漠然とした,抽象的な関心だけがある,というケースでだ.「身体がキーワードじゃないか」,「人間と環境の関わりに興味がある」,「共感が大事だ」みたいなレベルである.自分を振り返ってもそうだった.自分も経験と知識の関係に興味があったのだが,そんな抽象的なことで修論を書けるはずはない.修士の頃の周りの人間もこんな感じの人が多かった.しかしながらむろんこれでは論文には全くならない.自分の関心の中から,白黒の決着がつく問題を作り上げて行かなければならない.「白だ」,「少なくとも黒じゃない」などの形で結論が出る形まで,問題を洗練するということが必要になる.むろん,興味がいけないわけではない.それは問題探求の原動力になるものであり,決して捨ててはならないものである.しかし原動力だけで何かが動くわけではないのと同様に,興味だけでは論文は書けない.

2つめは,個別的な問題だけがあるというケースだ.「会社で自分の言っていることが伝わらない」,「クラスのこどもの成績が伸びない」,「自分は年号が憶えられない」とか,そういう個人の経験の中で生じる具体的な問題だけがある,という場合だ.これを解決して,「会社で自分の言っていることが伝わるようになった」とか「こどもの成績が伸びた」という結果が得られても,それをただ書くだけならば日記にしかならない.こういう場合は,この問題をより大きな問題,理論的な問題,学問コミュニティーが取り上げてきた問題とリンクさせることが必要になる.

自分の研究の中でもそうしたケースがあった.17,8年くらい前に大学でコンピュータのアプリケーションの使い方を教えていた時に,高い知性を持った人間たちなのになんでこんな簡単なことがわからないのか,と悩んだことがあった.そしてゼミ生たちと,これを解決する方法を考えたのだが,ただこれを書き連ねただけであればやはり一教師の実践日誌としかならない.また12,3年くらい前にはあるパズルと格闘していたのに,ある時ぱっとひらめいて解けてしまった.これは面白いと思った.しかしこのことをただ書くだけでは,「そのパズル」の解き方を「自分」が発見しただけの日記になってしまう.これらを認知科学が取り上げてきた問題と関連づけるためにほどほどの時間がかかった.幸いなことに,はじめの方の問題は認知科学の基本となる課題分析の考え方,そしてその当時から活発な展開を見せた文化と心理の問題に関連づけることで,いくつもの論文を書くことができた.後の方の問題は,洞察問題解決,そして多重制約充足,表象変化の問題と関連づけることで,いろいろな研究に展開した.

そういうことで個別から抽象,抽象から具体という往復運動が問題発見にはきわめて重要ということがわかる.

この話まだ続くのだが,あまり長いのもなんなので,ここで一応切っておくことにする.


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