大学教育の誤ったメタファーと新しいメタファー(1)

2017/8/27

メタファーは何かに何かを例えるという行為である.様々なタイプのメタファーがあるけれども,レイコフとジョンソンの唱えている概念メタファーというのは,人が世の中を捉えるときの根本的な基盤を作り出すという意味で,とても重要だと思っている.

さて大学の改革とか称して,文科省が打ち出したものに,3つのポリシー(3Pという人もいるが下品だからやめましょう,正しい省略形は3ポリらしいです)の明確化というのがある.

  1. アドミッションポリシー:どんな人間を入学させるのか,
  2. カリキュラムポリシー:そこでどういう教育をするのか,
  3. ディプロマポリシー:どんな人を卒業させるのか,

というものだ.またこれらがうまく機能しているかどうかを評価するための,アセスメントポリシーというのも必要なのだそうだ.

さてこれを見てどう感じるだろうか.これを見て,当然だろうと思う人も結構いると思う.そういう人はある概念メタファーを採用している.それは,製造物(工場)メタファーというものだと思う.菊正宗のページから取ってきたのだが,要約すると以下のように書いてある.

  1. 原料:山田米にこだわり,宮水を使う
  2. 加工:酒母(麹)を4週間かけ,科学的な方法で育てる
  3. 雑味がなくスッキリとした味わいと、キレのあるのどごしがどんな料理にも合う、理想の本流辛口にする

厳選した素材を仕入れ,それにキチンとした手順で処理,加工を行い,いつでも同じ製品を作り出すというのが,工場メタファーだ.無論,ものづくりとして正しい方法だと思う(絶対飲まないけど).

これがそのまま教育にも使われていることはすぐに見て取れるだろう..原料についての指針がアドミッションポリシーで,加工がカリキュラム,製品がディプロマポリシーということだ.

ところでこういうメタファーは教育において本当に機能するのだろうか.まともに考えれば絶望ではないだろうか.入り口で言えば,自分たちの教育方針に従う意思のある人間を本当に選別できるのか,そんな方法はそもそもあるのか.また出口で言えば,本当にそのポリシーに沿った人間を輩出しているのか,各教員がやっていることはディプロマポリシーに沿って規格化されているのか,甚だ疑問というよりは,そもそも嘘だと思う.

さて文科省とそこに出入りする学者の一部は,こうした問題があるので,アセスメントポリシーというのが必要だという.つまり本当に3つのポリシーが実現されているかどうかを証明でいる手段を用意せよ,出来ないのであればそれをできるようにする手段と組織を用意せよとかいう.

これは無謀を通り越している.そんなことはできるはずがない.人を計測する,人の学習を評価するということに対する,度を超えた楽観論といえば聞こえはいいが,無知蒙昧の表れであるとしか言いようがない.大学の目標が自動車教習所レベルのものであれば,それは可能だろう.でも心の科学を少しでも勉強している人ならば,各大学の3ポリを見たとき,そんな能力そもそもあるの,仮にあるとしてどうやって測定するのと,そんなことできればノーベル賞クラスだよと思うに決まっている.

このように全く成立しえない工場メタファーが安易に導入され,その実現に向けて,有為な,そして努力を惜しまない人々が,奮闘している(そういう仲間たちを数多く知っている).これは全く無駄なことに熱中し,時間を浪費しているという意味で,とても悲しいことかなと思う.

もう十分長いので,新しいメタファーについては次のエントリーに書くことにします.