プロジェクションを考えるといいことは何か?

2019/9/21

すごく久しぶりなのだが,プロジェクション科学の広がり,可能性について書いてみる.はじめの方はプロジェクションの説明,最後の3段落くらいが広がり,応用についてです.

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人は何かを感じたり,考えたりすると,それを外の世界に投射(=プロジェクション)する.

マイケル・ポランニーという異才がいた.彼はもともとはノーベル賞クラスの研究をいくつも行った化学者であるが,1950年台後半から哲学者として活躍することになった.幾つもの論文,著書を著しているが,1967年に出した「暗黙知の次元」という本が最も有名だと思う.この本は「語れない知識がある」ということで有名になってしまったが(それが悪いことではないのだが),実は,投射という考え方の重要性を示してもいる.

彼は近位項と遠位項という2つの用語を用いて投射を検討している.近位項というのは私たちの中に生じる感覚である.遠位項というのはその感覚をもたらす,世界の中の対象である.そして認識は近位項から遠位項への投射を含んでいる,というのが彼の考え方なのだ.ちなみに彼が本当に言いたい「暗黙」は,この二つの項を結びつける投射を含めたプロセスのことである.

もしかするとあまりに当たり前で退屈かもしれないが,最も簡単な例から始めよう.氷に触ると冷たいと感じる.この感じは私たちの中に生じる近位項である.しかし私たちの認識のプロセスはそれで終わるわけではない.そこから先が大事なのだ.その後に,「冷たい」という感覚をもたらしたモノ,つまり氷が冷たいものであるという認識が生じる.この氷が遠位項である.ここでは自分の感覚である近位項が,外の世界にある遠位項に投射されているのである.自分はそんな投射なんて考えてもいないし,やっている意識もないと多くの人が思うだろう.そう,だから「暗黙知の次元」なのだ.

しかしもう一つ,盲人の杖という例を出すことにしよう.目の不自由な人たちは白い杖で地面などをタッチしながら歩行する.何かの障害物に杖が当たる.この時の近位項は杖を持っている手のひらの感覚である.「手のひらに何か感じたな」という感覚で認識が終わらないことが大事なことだ.杖の使い手は,自分の先に何かがあると知覚する.ここでは,手のひらの感覚はそれをもたらした遠位項であるところの障害物に投射されているのだ.

ここらへんから,なんのことだとページを閉じたくなるかもしれない.実際いろいろなところで話すと,「だから何」,「何言いたいんだ」という反応もある.しかし,実は投射という考え方を用いることで,錯覚,幻覚,愛着,フェチ,ブランド,幽霊,神様,バーチャル・リアリティまで説明できるとしたらどうだろうか.

こうしたとても多様な現象が一つの概念の異なる現れと考えられると,とてもいいことがいろいろとある.錯覚でわかっていることをブランド・マネージメントに活かせないだろうかとか,神に対する愛のようにある製品に愛を感じさせられないだろうかとか,幽霊を怖がる子供に錯覚の例を通して安心させるとか,バーチャル・リアリティを用いたソフトを幻覚の研究から作れないだろうかとか,いろいろな現実的な展開が考えられる.

もう一ついい事は,各々の分野の研究が進展する可能性が出てくることだ.上に挙げた様々な現象にはその専門家たちがいる.錯覚,幻覚,愛着については心理学者,フェチについては社会学者や人類学者,ブランドについては経営学者,幽霊や神様については宗教学者,バーチャル・リアリティーについては情報科学者などが専門的に研究している.各々の研究の進展の度合いには凸凹があるし,使う方法もいろいろだ.こうした多様な人たちがあるテーマをめぐって集まることにより,その分野の研究が進展したり,もう終わったと思われているような研究対象が実は大事な意味を持つのだと再認識されたりすることもあるだろう.こうやって研究が進むと最初に挙げた現実的な展開も加速するかもしれない.