講義,テレビ,経済,進化とかけて

2009/4/14

非常勤でここ4,5年くらい教えている大学がある.50-100名くらいの受講者がふつうで,一番多いときでも150名くらいだったと思う.ところが先日今期初めての講義に出かけたら,160名ほどはいる教室が満杯どころか,立ち見どころか,廊下に学生があふれていた.

こういうのはむろん大変なのだが,私としてはそれほど悪い気はしない.100名入る教室に10人未満とか,250名の巨大教室に40-50人ほどちらほらみたいなケースが,私の場合はとても多く,なんともやりづらい.人気がないんだろうなぁとため息をつく.こうしたことが多い私にとって,今回は未だかつてない入り方で,ついに私の講義の真価が伝わり始めたのか,と思うわけだ.

しかし今まで5年くらいやって,こんなことがなかったのに,昨年の講義の噂が突然広まるなんてことがあるのだろうか.まあないだろうねぇ.考えてみればいろいろと理由はある.まず曜日と時限が変わった.前は金曜5限などという,およそ人気のない時間にやっていたが,今年は木曜日4限だ.これは大きい.バイトは夕方からとすれば,4限は十分に可能な範囲だ.またその時間にやっている講義がどのようなものかも関係するだろう.つまり同じ時間に必修科目が少ないとか,おもしろい講義が少ないとか,ということも考えられるし,昨年までの時間帯は超人気のある講義が行われていた可能性もある.

こういうのはテレビ番組と同じだ.ふつうの人がまず見ない時間帯に放映すればどんなに立派なものを作っても視聴率は低い.また視聴率をとるには番組自体をおもしろくするというのもそうなのだが,他の局でおもしろい番組をやっていない時間帯にやるというのもあるわけだ.番組の価値(視聴率)は番組に内在する訳ではなく,その他の番組との関係によって決まる.

もっと言えば、ものの値段自体もそうだ,というのは経済の常識.だいぶ前になるけど,新聞に「ワケあり商品が大人気」とかいう記事が出ていた.ワケありは、半端もの、傷ものなどで、通常店頭に並ばない種類のものをさす.割れたせんべい,大きさが不揃いのイチゴ、足の折れたカニ、ちょっと裂けたタラコなどいろいろある.味などはまったく変わらないのに,出荷できないために今までは産地で消費していたとか,捨てていた代物だ.しかしこれをネットなどで通常商品の半額程度販売したところ、バカ売れだと言う.それはそれでいいのだが、あまりに人気になってしまい,その結果訳なしの商品が大量に残ってしまい,結果的にそれを値引き販売をせざるを得なくなり,訳ありも訳なしもほぼ同じ値段になったものもあるとか.

進化もそうだ.昔訳した「アナロジーの力」という本によれば、パンダは摂食面でも,生殖面でも決して優れているとは言えないそうだ.たとえば生殖ー>受胎可能期間は数日、餌は基本的に笹しか食べない.道徳的かもしれないが,生物として決してよい特徴とは言えないだろう.じゃあ、なんでこんな生き物が数百万年も生きているのか.それは彼らの生息する環境に競争相手がいないからだ.捕食者がいない,同じ餌を食べるたの生物がいない,こうしたことがパンダの生存を支えている.要するに、行き残るかどうかは、その個体自身の性質で決まるのではなく,他の生物を含めた環境に関係しているわけだ.これまた進化の常識.

こういう考え方は,構造主義とか,関係論とかいう見方と言える.つまり意味とか価値はそのもの自体に内在するわけではなく,他のものとの関係によって決まるというわけだ.下世話なネタでひんしゅく買うかも.


履修漏れと経費付け替えのアナロジー

2007/1/11

高校での必修科目の未履修、履修漏れ問題がずいぶんと大きな問題となったのはつい最近だ。この話と、彼の事務所賃貸費の付け替え問題はよく似ていると思う。

「領収書が必要な経費だけではやってられないので、領収書の要らない事務所の賃借費用に勝手につけ変えました」 = 「指導要領の言うとおりでは受験指導はやっていけないので、受験に必要ない科目としてごまかして実際は受験指導をやっていました」。

履修もれ問題について、伊吹文部大臣は、この問題の責任は各学校長にあるとの判断を示した。経費の付け替え問題も実際は秘書がやっているのだろうけど、これを黙認してきた伊吹大臣の責任は免れないのではないだろうか。

「悪いことに使ったわけではない」とおっしゃるが、なんともこの人の浅薄さというか、図々しさというか、そういうものを表しているように思う。履修漏れ高校だって、別に悪いことにその時間を使ったわけじゃなくて、ちゃんと別の勉強させていたんだよね。それでも処分でしょ。そして生徒たちにも足りない分ちゃんと勉強させたでしょ。

じゃあ、自分も責任とってやめるとか、ごまかしたお金を返還するとか、そういうことをなさってはいかがですかね。


類推における準抽象化

2006/7/4

何か,論文みたいなタイトルだけど,実際論文みたいなエントリーです.オレの学位論文は準抽象化という知識の構造が類推の過程に関与しているというものだった.ふつう類推というのはよくわからないこと(ターゲット)に良く似た,そしてよく知っている既知の事例(ベース)を対応づけることとされてきた.しかし,ベースとターゲットの関係は類似だけでは済まないことは明らかだ.それは類似というのが様々な局面で定義できて,これを明確にしない限り,どんな類推もありとなってしまうからだ.

これではさすがに困るので,類推の研究者たちは類推において大事な類似を決めようとしてきた.ある人は構造が大事だと言い,別の人は構造以外の要因も含めたトータルな類似関係が重要と主張した.これらの説に共通するのは,類推はベースとターゲットの2つの間の関係として決まるというものだ.

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法創造と類推

2006/3/28

吉野先生が主催する法創造についての科研費の報告会があった。法律と創造という2つの言葉は、多くの人にとって反対語のようなイメージがある。しかし、立法はもちろんだが、現実のケースを法的に処理する際にはさまざまな創造のプロセスがあり、これからの法曹にはこうした創造のスキル、能力を身につけさせる必要がある、というのが、この科研費の趣旨だ。

私はメンバーなので当然出席だけでなく、発表もした。発表した内容は、以前にここにも載せた心理学会のワークショップで行った生成的アナロジーの話と、イラク邦人拉致事件の話、それとスクールカウンセラーを巡るアナロジーを組み合わせたものだった。

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心理学会ワークショップを終えて、

2005/9/12

前のエントリーに書いたように、心理学会で類推のワークショップをやった。どのくらい人が入るのかがかなり心配だったが、40名くらいの参加者に来て頂いて、胸をなで下ろす。論文自体もUPしているが、いちおう自分の発表をまとめるのだが、長くなるのでその前に他の発表者のことについて簡単なまとめとコメントをしておこう。

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日本心理学会ワークショップ

2005/9/9

日本心理学会第69回大会で「アナロジー研究の新しい方向性を求めて」というワークショップを行います.9月10日慶応大学三田キャンパス南校舎426教室で、16時半から行います.お時間のある方はどうぞいらしてください.発表者は、
荷方さん
楠見さん

の3人で、波多野先生がコメンテータです。

一応、発表原稿のようなものを作りましたので、以下に載せておきます.

日心ワークショップ原稿(鈴木)


類推の新しい姿

2005/3/27

北大の原口先生のところで類推のワークショップがあったので参加してきた。これはそもそも国立情報学研究所の協同プロジェクトとして始められた。2004年の6月に国立情報学研究所で一回ミーティングを行って以来だ。

類推の研究ははっきり言って下火だ。10数年前の活気はどこに行ったのだろうというくらい寂しい。1990年代後半くらいまではわたしも比較的まじめに類推の研究もおっていました(なにしろ学位論文のテーマですからね)。でも、こうした経緯を説明するのにものすごく時間がかかりみんな退屈してしまう、また研究があまりにトリビアルになりすぎて、「だから何?」のような反応をもらうことがとても多くなり、わたし自身ももういいかなという気分になっていました。どうしてか。

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身近な類推IV:品川区教育長の妄言

2004/6/4

石原慎太郎が東京都知事になって以来、東京都の教育はアナクロ、反動色をどんどん強めています。卒業式の国歌斉唱時にで起立しないという理由で東京都教職員を大量に処分したり、来賓の退職教員がビラを配ったことで刑事告訴したり、国旗・国歌法に名を借りた弾圧が平然と行われています。この法律は本当に国旗と国歌をきめただけの法律であり、こんな処分が正当化されるようなものでは全くありません。そのうち本当に軍事教練が始まるのではないかと大変心配しています。

こうしたことでかなり腹を立てており、これについて一言をいろいろ考えていたのですが、かなり以前に書いたものが見つかりましたので、とりあえず掲載しておきます(そのうち卒業式での国歌に関することをまとめて書きます)。

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身近な類推III:自己責任

2004/5/2

イラクにおける邦人拉致人質事件に関して,被害者の「自己責任」を主張し,救出に要した費用を請求し,さらには反日分子などというとんでもない言葉を投げつける政治家(この発言をした柏村という参議院議員のページはここが与党を中心に存在するのはよくご存じだと思います.

自己責任という言葉自体はアナロジーでもなんでもなく,単に「自分の責任で」ということを指すだけです.しかし,この事件においてはこの言葉がアナロジーを伴いつつ用いられています.「山にいくのは自分の勝手」であり,自らの意思の結果であるから,そこで事故にあっても自己責任であり,「救出費用は自腹」となる.同様に,「イラクに行くのも自分の勝手」であり,自らの意志の結果であるから,そこで拉致されても自己の責任であり,「救出費用は自腹」となる.ということでしょうか.

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身近な類推II

2002/2/7

002年1月30日の朝日新聞朝刊にオウムのトップに就任した上祐史浩に対するインタビュー記事が載っていました。この中で記者が「今でも麻原を崇拝しているそうだが」という質問をしました。これを受けて、上祐は「彼は精神的な父親のような存在である。父親が大罪を犯したら家族も一緒に謝罪するが、父親への気持ちは消えはしない。父親との絶縁は不可能だ」と述べました。これは前に述べた四項類推の枠組で言えば、

家族:父親=信者(オウム信徒):教祖(麻原)

というものです。

結論は受け入れ難いのですが、これはなかなかうまい類推です。さすが

  1. 口達者(「ああ言えば上祐(こういう)」と呼ばれるくらい(奇妙な)弁の立つ人でした)、
  2. 元人工知能研究者(彼は早稲田の大学院で人工知能の研究をしていました)。

類推の恐いところは、こういうところですよね。

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「類似から見た心」刊行!!

2002/1/11

大西さんと私で編集した「認知科学の探求シリーズ:類似から見た心」(共立出版)が昨年(2001)暮れに出版されました。この本は、「類似」という観点から人間の認知を捉え直すという、1990年以降かなり活発になってきたアプローチの延長線上にあります。ただし、本書の論文はいずれも類似をgiven とせず、それを動的に作り出すメカニズムに触れているという点で、ダイナミズムの路線上にもあります。またこの本は、知る人ぞ知るという豪華メンバーによる論文が多数収録されており、類似判断、類推は元より、カテゴリー、認知発達、創発認知などの研究分野に大きな影響を与えるものと確信しています。

以下、各章の内容と著者紹介をくだけた形で行ないます。

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身近な類推I

2001/11/9

ダイナミカル宣言をしていますが、私はもともと、そして今でも類推(アナロジー)の研究者であります。いままでいつも思っていたのですが、新聞や一般の人が読む本、雑誌、新聞などにおけるおもしろいアナロジー、変なアナロジーを紹介する、新しいシリーズを作ろうと思います。第一回目は、岩波書店から出ている「科学」という月刊誌から2つほど紹介します。

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アナロジーの力 刊行

1998/6/15

Keith J. HolyoakとPaul Thagard著の”Mental Leaps: Analogy in Creative Thought”の翻訳が新曜社から刊行されました(5200円)。この本は、多重制約という考え方から、人間、動物、機械におけるアナロジーを包括的に論じた、素晴らしい本です。訳者がいうのもなんですが、名著です。著者の二人の経歴は次の通りです。

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