学びあいが生み出す書く力

2009/4/12

標記のようなタイトルの本が出版されました.これは私が代表をしていた青山学院大学総合研究所のプロジェクトの成果をまとめたものです.このプロジェクトは,高等教育,教育社会学を専門としている杉谷祐美子先生,図書館情報学を専門としている小田光宏先生,学習科学が専門の長田尚子さんとの共同により進めてきました.目的は,大学生のレポートライティングの力を協調学習を用いて向上させようというものでした.

なぜライティングかというと,むろん大学ではレポートライティングが随所で必要とされるからですが,それだけではありません.ライティングには論理性,創造性,メディアリテラシー,対話力という,これから社会に出て行く人に欠かせない大事な力が統合的に用いられる必要があるからです.よって,ライティングをきちんと学習することにより,こうした力も育つのではないかという期待があります.

こだわりは2つあります.1つはレポートライティングの教育を書き方の教育にとどまらせないと言うことです.論理的に文章を構成することはライティングにおいてきわめて重要なことです.しかしそれだけではない,「何を書くか」,つまり書くべき問題を見つけ出すこと=問題設定も同様に重要と言うことです.これもターゲットにしようというのが1つめのこだわりです.

もう1つのこだわりは,仲間との相互作用を通して何を書くか,どう書くかを学びあうことを重視するという点にあります.レポートの書き方を教えるというと,何度も書かせて先生が添削して,ということがイメージに浮かんできます.しかし,正解を先生から教えてもらうというのは,学習のあり方の1つに過ぎないし,おそらく学校を出たらあまり重要でなくなる可能性が高いものです.こうしたことから,完全な知識を持たない学習者同士が相互作用を繰り返すことを通して,大事なことを自分たちが発見していく経験が必要と考えています.

というようなこだわりからこの本ができあがっています.よろしかったらどうぞご購入ください.値段は2500円と安くはないですが,決して高いという範疇にも入らないと思います.


千葉大でライティングについて話す

2008/12/1

千葉大学の言語教育センターというところの先生からの依頼で,我々のレポートライティングプロジェクトの成果について話してきた.内容は,以下の通り.

研究の動機:レポートライティング力を高め,民主主義社会を担う人材の育成する
学生の現状:レポートと作文の区別がつかない.レポートに関する誤概念を持っている.
レポート評価の基準:Toulminの図式が有効である.
Peer Review:学生同士でレビューをしあうことにより,レポートの質が向上する.
問題発見のための批判的読み:文献に感情的なタグをつけたマーキングを行うことで批判的読みが促進され,その文献に対するまとまった意見が出やすくなる.
ジグソー学習:ジグソー法を用いる中で起こる役割交替が議論の質を高め,自分が取り上げるレポートのトピックの質が向上する.

1時間半くらい話した後,いろいろディスカッションをしていたらあっという間に3時間経過.

千葉大学では、言語教育センターが「コミュニケーションリテラシー科目」というのを用意し,
文章表現演習
口頭表現演習
対人コミュニケーション
という3つの科目を1年生向けに開講しているそうだ.ここの科目を見ると,論理だけでなく、説得,プラグマティクスなどいろいろと面白い要素が含まれていることがわかる.


協調でうまくいくと言う時のための説得例

2008/10/16

教育,学習の分野では,協調学習というのがキーワードだ.つまり教え込むのではなく,学習者同士がディスカッションをしたりしながら学ばせようという話だ.

人と人のインタラクションの研究というのは,正直あまり興味が持てない.くだらないからとか,そういうのではなく,好きじゃないという嗜好の問題だ.

ただ大学教育に関係する仕事をしているので,協調学習を無視するわけにも行かず,何年も前からとある授業でこれを頻繁に取り入れている.その中の1つに,あるレポートを書かせ,それをグループの全員に渡し,相互にコメントしあうという活動がある.そしてそのコメントを元にもう1度レポートを書き直す.これで成績が伸びるだろうということが問題になる.しかしここで疑問が生じる.物事をよくわからないもの同士が,コメントしたり,ディスカッションをしたりしても,逆に有害なケースもあるのではないかということだ.

実際やってみると,2度目は1度目よりもよいレポートになる.学生同士のコメントを詳しく分析すると,なかなかよいことが書いてある.だいたい全体のコメントの3/4くらいはかなり的確なコメントになっている.本当にひどいコメントというのはほとんどない.

こういうのは何となく不思議な気になるが,考えてみればけっこう当たり前ではないかと思った.学問を例にとる.どういう分野の研究(実証学問ね)でも100年前と現在を比べれば,遙かに進歩しているはずだ.科学をやっているものならば,今の知識の状態のまま,100年前にスリップできれば,と思ったことが1度はあるはずだ.こうしてみると,100年前の学者たちは,タイムスリップした我々から見れば愚かというか,レベルが低いことになる.ところが,よく考えてみると,そうした人たちが切磋琢磨をした結果,100年後の私たちがいるわけである.つまりレベルの劣る人間同士のインタラクションにより,重要な新しいことが生み出されてきているということになるわけだ.

こう考えてみれば協調学習により成績が伸びるというのは,ある意味当たり前になるのではないかと思った次第.


論文2つほど刊行

2008/2/28

2月も終わりになって、昨年の夏休みにもがき苦しんだ(とまではいかないけど)論文が無事刊行された。

1つはスキルの熟達に関わるものだ。これはレゴブロックを使って簡単な形を作ることをひたすら繰り返して、その過程で何が起こるのかを詳細に分析するというものだ。数秒(これは熟達の最終期あたりだけど)で終わる課題を数千回行わせると、ものすごいことが起こる。とにかく見事、何やっているのかよくわからない、そのくらいうまくなる。このもんのすごいことをなんとか、客観的に、科学的に解明できないかというのが研究の出発点だ。

これはそもそも東工大の名誉教授で、退官後に中京大学で教鞭を執られた木村泉先生の猛烈にすごい研究に触発され始めたものだ。先生はミソサザイという折り紙を15万回ほど自分が被験者となって折り、この達成時間の分析をかれこれ7,8年前くらいの認知科学会で発表された。

一般に練習による遂行時間の減少は、練習のべき法則(the power law of practice)と呼ばれるものに従うことが知られている。練習回数、遂行時間の対数を軸としたグラフを書くと、右下がりのきれいな直線で近似できるのである。しかし、木村先生のデータはこの直線の上下をうねるような形で遂行時間が変移していた。

直感的にこれはすごいと思い、我が研究室でも細々と研究を続けてきた。6年前くらいの卒業生の竹谷さん、4年前くらいの卒業生の佐々木さんと、かなりの苦労を重ねて、知見を積み上げてきた。そして3年前の竹葉さんの驚くべき努力、そして大西君の見事なデータ解析力により、ようやく論文化する道筋が見えてきた。この研究は認知科学会で3回ほど発表した。この過程でさらにいろいろなことに気づき、昨年人工知能学会でスキルサイエンス特集というまさにドンぴしゃの企画がありこれの論文募集があったので、投稿した。

取り上げたことは「スランプとそこからの脱出」ということ。主張は
・スランプは単なる統計的な誤差ではありません、
・スランプは内的スキルとその実行環境とのミスマッチにより生じることがある、
という2点です。おもしろいです、おすすめです。ここにおいてあるので是非ご覧ください。

もう1つは全然違うネタで、大学生にまともなレポートを書かせるためにはどうしたらよいかというものです。これもかれこれ5,6年くらい前から手探りの状態で進めていたものです。そもそもまともなレポートとは何なのか、というこことがこの分野の研究の大きなテーマとなります。一般的にレポートは、
・問題
・主張
・論拠
からなるとされます。しかしこれだけではいくら何でも抽象的すぎてだめですよね。問題の意義とか、主張の範囲とか、論拠の妥当性などが、この図式には欠けているからです。じゃあ、自分で考えればいいんだけど、いくら無謀なオレでも「レポートとは・・・・だ」などと断言するというのもできず、悶々としていたんだけど、Toulminというつよーーい見方を見つけることができました(実はずっと前から知ってはいたんだけどそれをこの研究に関連づけることに気づかなかった)。彼は議論についての哲学的な検討を経て、

  1. 主張:まあ主張ですよ
  2. データ:主張の証拠です
  3. 保証:データが主張と関連しているかどうか
  4. 裏づけ:データと主張との関連についての一般的な保証
  5. 反論:対立仮説の検討
  6. 限定:主張の範囲の限定

という6つの要素が正当な議論には必要であることを論じた。

これはレポートにまさに通じる話で、というか論文にも丸ごと当てはまるような話なわけです。この基準を使えば、ある程度まで客観的にレポートを評価することが可能になるのではないかと考えたわけです。で、これが第一歩。

しかしこうした抽象度の高い理屈というのは、大学1年生あたりに事例1つ交えて話したくらいでは全然通用しない。ここで2つの方法がある。1つは、この図式を徹底的に練習させて身につけさせるというものだ。で、これは当然やる気が起きないので(ああ、オレがという意味ですよ)、なんとかもう少し無理なく身につけさせることはできないかと考えたわけですね。

そこで出てくるのが協調学習、Blogというわけです。このBlogにはいろいろと書いているのでこれ以上書かないけど、Blogやディスカッションを通した他者との交流を積極的に取り込むことにより、上のToulminの6つの要素が自然に(?)身につくのではないか、というわけです。そもそもToulminの図式は、議論という、他者との相互作用の場面で求められることであるわけで、その意味では他者との交流はこの図式の獲得の必須条件(とまではいえないけど)ではないかと考えたわけです。ということで、今までやってきたBlogをを用いた授業とか、グループディスカッションとかが、Toulmin+協調学習という中にきれいに納めることができると考え、論文にしたわけです。

出した先は、京都大学高等教育研究開発推進センター(何度書いても長すぎて途中を忘れる)の紀要です。なんで他大学の紀要になんて書くのかというと、昨年の3月にこのセンターが長年に渡って行ってきている「大学教育研究フォーラム」という学会というか、研究会があり、そこでBlogの話をしたことがきっかけになっています。発表後に、このセンターの松下さんから「紀要に書いてみないか」というお誘いがあり、せっかくということでお引き受けし、書いたわけです。でも依頼論文というわけではありません。査読もありました。で、その査読結果は今までいろいろ論文を書いてきたけど、こんなにほめられたことないよ、というくらいほめられて、1週間くらいテンションがあがりましたね。まだまだ展開していかないと,いわゆるおもしろい論文にはなりませんが,とりあえずの一歩です.
ここに載っているので興味のある人はご覧ください.