大学教育の誤ったメタファーと新しいメタファー(2)

2017/9/6

前回にupした際に,大学教育についての後編を書きますと言いました.前回は,厳選された素材を集め,きっちりと企画された講義体系により,規格品としての卒業生を作る,というのが,まるで工業製品を作るかのごとくに語られている,ということから,教育=工場モデルという,暗黙の概念メタファーが使われていることを指摘しました.

これを非難することはとても容易ですが,それだけに止まらない展望も必要かなと思います.なぜなら教育は専門家(教員)と直接的な当事者(児童・生徒・学生)だけに止まらず,その親族とか,卒業生など,様々な人を巻き込むものだからであり,そして何よりもその人たちは何かポジティブなメッセージを好むからです.

さてどんな工場メタファーを超えるメタファーが可能なのでしょうか.それは生態系メタファーです.正直言って,自分ではこれ以外大学の意味はないのではと思うくらいです.大学の学生は多様です.また大学の教員も多様です.そういう多様な人たちが共生しながら,新たな価値を生み出すというのが大学だという主張です.

地球全体が生態系であるのですが,例えば森とか池とかの自然環境,里山とかビオトープのような人工環境,そういうのが最もイメージしやすい生態系かなと思います.そこでは様々な生き物たちが生息しています.森の縁あたりには日当たりのいい場所を好む植物たち,川の中にも藻などの生き物がいます.森の奥の方に行くと下の方には日当たりが悪く,湿気も多い土壌を好むこけ,シダのような生き物たち,その一方で高さを競い合い,どんどん自らの丈を伸ばしてく樹木群,このほかにもこれらの植物たち,あるいはその排泄物を食らう小動物群,さらにはそれらを食らう大型動物たちがいます.またこれらの排泄物を利用して成長する生き物たちもたくさんいます.

さて,これを読んでいる方々,大学時代の仲間たちを思い出してください.上に述べた生態系,森とよく似ていませんか.鉄道の写真に夢中になるなんだか変なやつ,不器用であんまり大したことないけど努力だけは厭わないやつ,大学にほとんど来ないでバイトに精を出すやつ,中身のないけどなぜかかっこいいやつ,大言壮語ばかりして全く実質がともなわないやつ,頭はいいけど協調性に著しく欠けるやつ,なんだか知らないけど友達が山ほどいるやつ,等々,等々,等々.

さて教員の方は自分の同僚を覆い出してください.これも学生同様とても生態系,森と似ていませんか.カミオカンデのようなとんでもない施設を使って宇宙の起源を探ろうとする研究者,17世紀の体罰の研究者(それもイギリス!).ロボット使ってサッカーのプロチーム(それもW杯に勝つ???)を作る,モーリタニアで砂漠バッタ撲滅に尽力する研究者,アフリカの猿が道具を作ったとかいう研究者,等々,等々.どれもぼくには面白さが十分に分かっているわけではないですが,そういう人たちがたくさんいます.そしてぼくはこういう研究をする人たちを敬愛します.

こういう簡単な要約を拒む人たちがいっぱいいて,そこで自分の住む場所,ニッチを探すというのが大学ではないでしょうか.中にはどんな科目でも優を取れる人がいたり,逆にどんな科目でも落第スレスレみたいな人もいると思います.でもこうした人たちがそれなりに気に入った科目で少し考え,そして少し成長する,そんなのが大学ではないかなと思っています.ということで提案したいのが,生態系メタファーなのです.

前回に書いたものの背景にはこういう事情があります.こんな多様な学生とこんな多様な先生たちがいる中で,大学全体の入学ポリシー,教育ポリシー,卒業要件ポリシーを語れというのはどういうことになるのでしょうか.同じ丈の稲になれみたいなこんなポリシーが通用するのでしょうか.入る人間をどうやって選別するのでしょうか.教員全員に大学のミッションとしてある形の授業を強要できるのでしょうか,ディプロマポリシーとかいうものは,本当に測定可能なのでしょうか.

こんなところなら行かせないとか,そんなメタファーは通用しないとか,色々とご意見はあると思います.行かせないと思った父兄の方は行かせないのがいいかもしれませんが,どうぞご本人とご相談ください.こんな教育あるわけないだろうと吠える現場教員の方には,「想像力不足」とだけ言っておきます.文科省,及びその関連の方には,ものを考えるということにもう少し真剣に取り組むための基礎教育を受けるべきと言っておきます.


教育 ]

大学教育の誤ったメタファーと新しいメタファー(1)

2017/8/27

メタファーは何かに何かを例えるという行為である.様々なタイプのメタファーがあるけれども,レイコフとジョンソンの唱えている概念メタファーというのは,人が世の中を捉えるときの根本的な基盤を作り出すという意味で,とても重要だと思っている.

さて大学の改革とか称して,文科省が打ち出したものに,3つのポリシー(3Pという人もいるが下品だからやめましょう,正しい省略形は3ポリらしいです)の明確化というのがある.

  1. アドミッションポリシー:どんな人間を入学させるのか,
  2. カリキュラムポリシー:そこでどういう教育をするのか,
  3. ディプロマポリシー:どんな人を卒業させるのか,

というものだ.またこれらがうまく機能しているかどうかを評価するための,アセスメントポリシーというのも必要なのだそうだ.

さてこれを見てどう感じるだろうか.これを見て,当然だろうと思う人も結構いると思う.そういう人はある概念メタファーを採用している.それは,製造物(工場)メタファーというものだと思う.菊正宗のページから取ってきたのだが,要約すると以下のように書いてある.

  1. 原料:山田米にこだわり,宮水を使う
  2. 加工:酒母(麹)を4週間かけ,科学的な方法で育てる
  3. 雑味がなくスッキリとした味わいと、キレのあるのどごしがどんな料理にも合う、理想の本流辛口にする

厳選した素材を仕入れ,それにキチンとした手順で処理,加工を行い,いつでも同じ製品を作り出すというのが,工場メタファーだ.無論,ものづくりとして正しい方法だと思う(絶対飲まないけど).

これがそのまま教育にも使われていることはすぐに見て取れるだろう..原料についての指針がアドミッションポリシーで,加工がカリキュラム,製品がディプロマポリシーということだ.

ところでこういうメタファーは教育において本当に機能するのだろうか.まともに考えれば絶望ではないだろうか.入り口で言えば,自分たちの教育方針に従う意思のある人間を本当に選別できるのか,そんな方法はそもそもあるのか.また出口で言えば,本当にそのポリシーに沿った人間を輩出しているのか,各教員がやっていることはディプロマポリシーに沿って規格化されているのか,甚だ疑問というよりは,そもそも嘘だと思う.

さて文科省とそこに出入りする学者の一部は,こうした問題があるので,アセスメントポリシーというのが必要だという.つまり本当に3つのポリシーが実現されているかどうかを証明でいる手段を用意せよ,出来ないのであればそれをできるようにする手段と組織を用意せよとかいう.

これは無謀を通り越している.そんなことはできるはずがない.人を計測する,人の学習を評価するということに対する,度を超えた楽観論といえば聞こえはいいが,無知蒙昧の表れであるとしか言いようがない.大学の目標が自動車教習所レベルのものであれば,それは可能だろう.でも心の科学を少しでも勉強している人ならば,各大学の3ポリを見たとき,そんな能力そもそもあるの,仮にあるとしてどうやって測定するのと,そんなことできればノーベル賞クラスだよと思うに決まっている.

このように全く成立しえない工場メタファーが安易に導入され,その実現に向けて,有為な,そして努力を惜しまない人々が,奮闘している(そういう仲間たちを数多く知っている).これは全く無駄なことに熱中し,時間を浪費しているという意味で,とても悲しいことかなと思う.

もう十分長いので,新しいメタファーについては次のエントリーに書くことにします.


新大学入試テスト

2017/5/19

新しい大学入試制度が始まると言われている。これの問題例が最近公開された。国語は確かにこれまでの普通の国語問題とは異なり、文章中に散在している情報をある観点から参照して、まとめて書くと言うものだった。小学生、中学生がやる全国学力調査のB問題というやつに近いと思いました。

それで2つほど考えたこと。採点基準が書かれていたけど、必要な事項が参照されているかどうかというものが多かった。これならば別に書かせる必要はなく、選択肢などでも可能かなと思います。ある意味採点は楽になるのですが、これのだけのために膨大な数の論述(?)答案の採点をやる必要があるのだろうか。また、3つ触れなければならないポイントがあったとしても、その書き振りなどによって点数差が出るのだろうかということも気になりました。とにかくそういう単語から構成されていれば良いというのであれば採点は楽ですが、もし上手に(?)書けているものと、そうでないものを区別するということになれば、採点はものすごく大変だし、主観的になることを免れないかなとも思います。

もう1つは問題そのものの性質。大筋、市の作成したガイドラインに、個人の権利、自由の立場から反対する親と、公益、公共の観点からガイドラインに賛成の娘の対話となっている。それで、最後の問題は、その娘の妹になったつもりで、姉を擁護する立場から必要なことを参照しつつまとめなさいというものです。なんか、文科省お得意の忖度かなぁと思いました。


教育 ]

会田誠の息子の話を読んで学校の機能を考える

2017/4/5

だいぶ前に,会田誠の個展(六本木ヒルズ)に行ったついでに『カリコリせんとや生まれけん』(幻冬舎文庫)を買って読んだのを,少し前に読み返した.いろいろと書きたいことはあるのだが,彼の息子の話(彼の妻による)が大変に印象的だった.

彼には寅次郎という名前の息子がいる(今はもう大学生くらいかな,都美で作品を撤去させるさせないでもめたが,この本の当時は小学1年生).学校では完全な逸脱者で,先生の言うことは聞かない,席に座っていない,(小1のくせに)先生に口答えする,恐ろしく大人びたことを言う(校長に直談判、学校粉砕等々),教室で全裸になるなどで、学校からは専門家に見てもらって、特別支援学級に行くことを勧められている.しかし、家では確かに聞かん坊であり,変わったことをするが,別段特殊というわけでもないという(会田夫妻談).母親は学校の教師とのやり取りに疲れ果て,ノイローゼになり,それから皮膚炎にもなり(夫談)、『死にたい』(たぶん冗談)と何度も口にする.なにやらこの奇行は父親譲りなんだそうだ.

さてこれを読んでいると,大学院時代にMichael Coleが書いていた論文を思い出す.グループ生活では全く問題ない、逆にリーダー的な存在である子どもが、学校の中では問題児とされ,(名前は忘れたけど)「なんとか障害」とされているというやつだ.覚えている限りでColeたちはこれが学校とは別の有能さを示すものであるというような、ある意味ヒューマニスティックな結論を出していたように思う.

しかし、問題はそういうことではないように思える.それは学校というものが持つ機能の話だ.教育社会学者の竹内洋(元京大教授)は,学校の持つ社会的機能は2つである(2つしかない!)と述べている.1つは社会化で,もう1つは選別である.二つ目の方はいろいろとあると思うが,1つめは多くの人が納得することだと思う.社会でちゃんと生きられる人間を育てるというのは,教育という分野に税金を山ほど使うことの根拠となる大事なものだ.でも簡単に言うと,「黙って言うことを聞け」という話だ.教員採用試験という,この常識の度合いを測るテストによって選ばれた先生たちは(別に悪い意味ではなく)きわめて常識的であると思う.よってこの人たちが思うような社会化が教室でなされれば,(大きな変革がない限り)生徒たちはうまく社会適応できるであろう.

当然のことだが,そこでいう社会化とは,支配者の思惑の中での社会化に過ぎないということも頭に入れておく必要があるだろう.この思惑とは,自分たち支配者が決めた規律に従え、反抗するな,その根拠を問うな,というものだ.教師は一人ひとりのことなんかかまってられないし,そんなことをいちいちするよりも、まず自分を見習えみたいな感じで進むのが効率的だ.まことに情けない,と歯ぎしりする方もいるだろうが,少なくとも日本で社会生活を送るというのはそういうことだ.それにしたがわなければ特別な場所に送られるということだ.

そういうところからはじき出されたのが寅次郎くんだと思う.正直,どうしようもない気もします.いろんな病名が増えて,その判定をする資格保持者が増えて,「ちょっと変わった子」では許されなくなってきたわけですね.これについては,親が逞しくなる以外の方法はないかな.


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サンデル教授の番組、類推,オープンエンドの授業の意義

2012/2/19

マイケル・サンデルと言えば,もう説明の必要もないだろう.ハーバードで最も人気のある授業を担当する倫理学の教授で,日本でもNHKで放送されたり、著書がベストセラーになったりする有名人だ.

今日,彼が日本の有名人(斉藤慶子,シェリー,猪瀬直樹,ジャパネット高田の社長,野球の古田)と、日本,中国,アメリカの学生たちを相手にした番組を見た.大雪の時に雪かきスコップを突然値上げした店の話から始まり、年会費を払わなかったので火事の時に消火を拒まれた人の話(アメリカでの実話),成績の良い子にはボーナスを払う学校の話、代理母出産の話等,金と道徳に関わることについての議論が行われていた.

ここではいくつものおもしろい類推が行われていた。 Read the rest of this entry »


霊と金

2010/3/8

櫻井義秀「霊と金:スピリチュアルビジネスの構造」(新潮社新書)を読んだ.たいへんにおもしろい本であった.神奈川県警の警視が関与していた神世界,霊感商法で悪名高い統一教会,スピコン(これは知らなかった)がどんなふうにして金を稼ぐのかが,被害者の話とともに解説される.またこうしたものだけでなく,神社,寺,教会などの一般の宗教がどうやって経営されているかについて解説されている.お寺も,教会も特別なところをのぞけば経営はかなり大変なようだ.幼稚園とか,保育園が付属する宗教施設は多いが,というか青学もそうか,これは信者からの寄付だけではとてもやっていけないためであるとか.

第4章ではスピコンの話を取り上げながら,なぜ現代人がこれにはまるのかについて論じられている.現代では,内在的な自己というものを発見し,それを実現することが奨励されているという.むろん,これは自己責任においてやらねばならない.一方,バブル崩壊後,安定した生活基盤を持てない人たちが増加してきている.こういう不安定な状態にある人たちは,この状態は「本来の自分ではない」と考え,実現すべき自己とは何かをスピリチュアルビジネスに答えてもらおうとする.しかしながら,実現すべき自己とは決して内在的なものではなく,他者との関係,社会との関係において決まるものである.よって,いつまでたっても実現すべき自己は見つからず,スピコンなどにあるお手軽なヒーリング,占いなどをはしごするということになる.自己についてこれと同じ趣旨の話は,以前に書いた覚えがある.最近読んだ内田樹さんの本にも砂粒化と言うような言葉で語られていたように思う.

5章はけっこう圧巻で正直驚いた.認知科学の成果がきちんとした形で述べられている。それに基づいて,人がどうしてカルトなどのインチキな宗教にはまるのか,また連中はどうしてうまく人をはめているのかがプロスペクト理論から解説される.

こういうのを読むと,認知科学が大学基礎教育場面でいろいろと利用できることに気づく.


学びあいが生み出す書く力

2009/4/12

標記のようなタイトルの本が出版されました.これは私が代表をしていた青山学院大学総合研究所のプロジェクトの成果をまとめたものです.このプロジェクトは,高等教育,教育社会学を専門としている杉谷祐美子先生,図書館情報学を専門としている小田光宏先生,学習科学が専門の長田尚子さんとの共同により進めてきました.目的は,大学生のレポートライティングの力を協調学習を用いて向上させようというものでした.

なぜライティングかというと,むろん大学ではレポートライティングが随所で必要とされるからですが,それだけではありません.ライティングには論理性,創造性,メディアリテラシー,対話力という,これから社会に出て行く人に欠かせない大事な力が統合的に用いられる必要があるからです.よって,ライティングをきちんと学習することにより,こうした力も育つのではないかという期待があります.

こだわりは2つあります.1つはレポートライティングの教育を書き方の教育にとどまらせないと言うことです.論理的に文章を構成することはライティングにおいてきわめて重要なことです.しかしそれだけではない,「何を書くか」,つまり書くべき問題を見つけ出すこと=問題設定も同様に重要と言うことです.これもターゲットにしようというのが1つめのこだわりです.

もう1つのこだわりは,仲間との相互作用を通して何を書くか,どう書くかを学びあうことを重視するという点にあります.レポートの書き方を教えるというと,何度も書かせて先生が添削して,ということがイメージに浮かんできます.しかし,正解を先生から教えてもらうというのは,学習のあり方の1つに過ぎないし,おそらく学校を出たらあまり重要でなくなる可能性が高いものです.こうしたことから,完全な知識を持たない学習者同士が相互作用を繰り返すことを通して,大事なことを自分たちが発見していく経験が必要と考えています.

というようなこだわりからこの本ができあがっています.よろしかったらどうぞご購入ください.値段は2500円と安くはないですが,決して高いという範疇にも入らないと思います.


E-learningについての反省

2009/3/29

E-learningという分野について完璧に誤解していた,ようなので,ここに反省を込めて書く.

「E-learningが・・・だ」という言い方はやめた方がよい.これはE-learningが完全に一つの領域として確立している,あるいはまもなく確立するからだと思う.

正直言って,E-learningについてあまりいいイメージを持ったことがなかった.何となくコンセプト自体が陳腐だとか,いわゆる工学手法により教育を画一化するとか,そういうイメージを持っていた.それはそういうE-learningを多数見てきたからだ.

しかし27日に私が代表をしている科研費の研究会で,電通大の植野真臣さんの研究を聞いて,正直打ちのめされた.Vygotkyan,協調などの学習科学のコアコンセプトが,LMSとともに見事な形でまとめ上げられていた.植野さんは確率のプロ中のプロであり,特にBayes統計学の先端的利用と理論の拡張で国内外ですばらしい業績を持っている理論家であることは知っていた.しかし,こうした知見をさらに教育のために展開し,見事なE-laerningのシステム,SAMURAIを構築されている.これはもうかれこれ10年前からやっているそうなのだ.これを知らなずに彼の話を聞いた参加者は打ちのめされ,自分の不明を恥じた.知っている人に聞くと,植野さんがこれだけやったので,LMSはみんな手を出さなくなるくらいになっているとのこと.よくわかる.

確立した分野というのは,それ自体がいいとか,悪いとか言うことはほとんど無意味だ.たとえば,哲学はだめだとか,認知科学は未来があるとか,そういう言明は基本的に意味がない.このような言明は「悪い哲学研究を見たことがある」とか,「よい認知科学の研究に触れた」程度のことに過ぎない.

私たちのやることは,その分野自体がどう思われているのかではなく,そこでBestな仕事を目指すことだけなのだ.そういう,ある意味当たり前のことに気づいた次第.


etc, 教育 ]

答案の採点からわかったこと

2009/2/12

答案の採点を終えた.提出もした.これで今期はすべて完了.

さてこれをやっていると自分の講義のまずい点も見えてくる.今回は講義タイトルは正確ではないが、認知科学入門みたいな講義の採点をやっていてまずい点に気がついた。

講義の前半あたりでは表象の生成について、知覚、記憶分野で、人間の情報処理がどれだけ偏っているか、不完全か、そしてそれを補うために何をしているかということを、

  • change blindness、選択的注意、
  • 構成的記憶、目撃者証言、協同想起、
  • 類推での仮説的ベースの生成、

をを題材として話している.

答案を見ていると個々のことがらについての理解はかなりのレベルに達していると思うが、これを生成という観点からまとめあげることがうまくできていない人が多いことに気づいた.

次回からは、

  • 情報の取得時におけるゆがみ、生成、
  • 情報の保持時におけるゆがみ、生成、
  • 情報の利用時におけるゆがみ、生成、

という形でしっかりと伝える必要があることを認識した次第だ.

こういうことを繰り返しながら、かれこれこの講義を5年くらいやっている.自分で言うのもなんだが、恐ろしくよくなってきていると思う.逆を言えば、5年前の学生たちにはごめんなさいと言わねばならない.


教育 ]

答案の採点

2009/2/11

答案の採点も大詰めを迎えた.今まで、レポート、試験答案を含めて、約300くらいを終えた。あと50くらい。辛いけど、一所懸命書いてくれた答案なので、こちらもがんばるしかない.

毎年思うのだが、ある程度の分量を書いてもらう論述形式の試験を行うと、書いた量と成績はかなり相関が高い.取り上げた問題自体についての論述だけだとほどほどの点になる.これにその問題の背景や展開、インプリケーションなどを書くと当然長くなる.で、そうしたことまで書いた答案は当然点数が良くなる.そういう意味で分量と成績の相関は当たり前ということになるのかもしれない.

これが終わると入試の試験監督が待っている.


etc, 教育 ]

今年の卒論

2009/2/8

今年もついに卒論の最終版がでてきた.

  1. 擬音語、擬態語の処理様式;擬音語は音声処理で、擬態語は視覚処理か?
  2. バナー広告の好感度と再認に与える接触回数の効果:ナチュラルな環境下でバナーを提示した場合、接触の回数により好感度はどのように変化するか.またそれはそもそもの高感度とどのように関係するか。
  3. 批判的思考(特に前後論法克服)のための介入:批判的思考を事例、原則、原理などの各レベルで教えてみると、その後の成績は向上するか。
  4. 大学生のレポート観:大学生はレポートに対してどんな知識を持っているのだろうか.それは学年があがるにつれて向上するものなのだろうか.また明示的な教育を施す故で変化するのだろうか.
  5. 空間課題の解決におけるジェスチャーと視点:空間的な課題を行うときに視点を明示的に提示することにより、パフォーマンスにどのような違いがあるのか、また解決中のジェスチャーにどれほどの違いがでるのか.

なかなか面白い展開があった.いくつかはまとめてみようと思っている.

4の研究だけちょっと述べると、書き方の作法、レポートの構造、取り上げる問題、データの扱い、この4つの分野について20−30程度の質問を行い、得点化した.その結果、レポートの構造についての知識の欠落が顕著であること、普通に1年間を送ってもこれは改善されないこと、レポートのための特別な受容を半期受ければ大幅に向上すること、専攻によって違いがでてくること(心理学はデータの部分の成績が向上した)、などがわかった.これは今後の研究でもいろいろと使えるものになると思う.


千葉大でライティングについて話す

2008/12/1

千葉大学の言語教育センターというところの先生からの依頼で,我々のレポートライティングプロジェクトの成果について話してきた.内容は,以下の通り.

研究の動機:レポートライティング力を高め,民主主義社会を担う人材の育成する
学生の現状:レポートと作文の区別がつかない.レポートに関する誤概念を持っている.
レポート評価の基準:Toulminの図式が有効である.
Peer Review:学生同士でレビューをしあうことにより,レポートの質が向上する.
問題発見のための批判的読み:文献に感情的なタグをつけたマーキングを行うことで批判的読みが促進され,その文献に対するまとまった意見が出やすくなる.
ジグソー学習:ジグソー法を用いる中で起こる役割交替が議論の質を高め,自分が取り上げるレポートのトピックの質が向上する.

1時間半くらい話した後,いろいろディスカッションをしていたらあっという間に3時間経過.

千葉大学では、言語教育センターが「コミュニケーションリテラシー科目」というのを用意し,
文章表現演習
口頭表現演習
対人コミュニケーション
という3つの科目を1年生向けに開講しているそうだ.ここの科目を見ると,論理だけでなく、説得,プラグマティクスなどいろいろと面白い要素が含まれていることがわかる.


受けの悪い講義で協調を使ってみる

2008/11/22

教職関連の授業である授業を行っている.パソコンのある部屋で行っているのだが,驚くほど集中しない.おそらく聴いているのは15人くらいの中の数人程度ではないだろうか.こういう学生が教職に就く可能性があるというのは驚くべきことだが,これをいちいち注意してまわるというわけにも行かない.

さて今回は趣向を変えて協調を用いた授業に構成し直してみた.テーマは学力低下.

  • 学力低下について知っていること,その原因とされていること,それらについての自らの考えをまとめる(20分).
  • 各々が書いたことを持ち寄りグループでディスカッションする(15分).
  • ディスカッションの内容を代表に報告させ,若干の解説を行う(10分).
  • PISA調査問題を解かせる(30分).
  • 問題の特徴についてのディスカッション(10分).
  • この問題を解くための学力を育成する教育方法についてまとめてくる(宿題).
  • PISA調査の目的,解答の評価についての解説(30分)
  • グループディスカッション(30分)
  • 報告と総括(30分)

というのが2回分のメニューだ.

1−5を授業時間中に行った段階であるが,非常にのりがよい.よく考えた答えも出てくる.今までとは全く違う学生の姿が現れてきた.うーーん.


教育 ]

名古屋大学講義

2008/10/28

名古屋大学情報学研究科の三輪さんに呼ばれて,大学院で午後講義を行ってきた.10年くらい前に集中講義を行ったことがあり,講義は二度目だ.今回は名城線の名古屋大学前という駅があり,大変に便利だった.

いつもの創発認知の話の中の,
生成性(change blindness, false memory, analogy)
冗長性(確率推論,条件文推論,発達)
を取り上げて話した.話し方があまりよくなかったのか,自分も学生もあまりテンションが上がらなかった(ように思う・・・).

その後に八事の居酒屋で,同研究科の斉藤さん,川口さん,三輪さん,川合さん,および院生の方たちと一緒に飲んだ.話しはいろいろと盛り上がり(というか一人で酔っぱらって盛り上がった可能性もあり),伝統的認知科学の意義,潜在・無意識研究,などなど,楽しい会話をすることが出来た.新しいタイプの研究の方法論を開発する必要があることを強く自覚する.いつも思っていることなのだが,平均に巻き込まれることなく,個体の揺らぎと変化をしっかりと科学的に捉えるということだ.

帰りの電車があるので飲み会は8時くらいにお開き.その後まだ飲み足りずカップ酒2つ買い込んで新幹線グリーン車に乗車.音楽を聴きながらゆったりと考え,その後眠り,無事品川着.


協調でうまくいくと言う時のための説得例

2008/10/16

教育,学習の分野では,協調学習というのがキーワードだ.つまり教え込むのではなく,学習者同士がディスカッションをしたりしながら学ばせようという話だ.

人と人のインタラクションの研究というのは,正直あまり興味が持てない.くだらないからとか,そういうのではなく,好きじゃないという嗜好の問題だ.

ただ大学教育に関係する仕事をしているので,協調学習を無視するわけにも行かず,何年も前からとある授業でこれを頻繁に取り入れている.その中の1つに,あるレポートを書かせ,それをグループの全員に渡し,相互にコメントしあうという活動がある.そしてそのコメントを元にもう1度レポートを書き直す.これで成績が伸びるだろうということが問題になる.しかしここで疑問が生じる.物事をよくわからないもの同士が,コメントしたり,ディスカッションをしたりしても,逆に有害なケースもあるのではないかということだ.

実際やってみると,2度目は1度目よりもよいレポートになる.学生同士のコメントを詳しく分析すると,なかなかよいことが書いてある.だいたい全体のコメントの3/4くらいはかなり的確なコメントになっている.本当にひどいコメントというのはほとんどない.

こういうのは何となく不思議な気になるが,考えてみればけっこう当たり前ではないかと思った.学問を例にとる.どういう分野の研究(実証学問ね)でも100年前と現在を比べれば,遙かに進歩しているはずだ.科学をやっているものならば,今の知識の状態のまま,100年前にスリップできれば,と思ったことが1度はあるはずだ.こうしてみると,100年前の学者たちは,タイムスリップした我々から見れば愚かというか,レベルが低いことになる.ところが,よく考えてみると,そうした人たちが切磋琢磨をした結果,100年後の私たちがいるわけである.つまりレベルの劣る人間同士のインタラクションにより,重要な新しいことが生み出されてきているということになるわけだ.

こう考えてみれば協調学習により成績が伸びるというのは,ある意味当たり前になるのではないかと思った次第.


教師教育っていうのは

2006/11/22

閉じたブログの中で卒業生が教師教育について批判的な記事を書いていた。それで触発されたのだけれど、教師教育というのは学び手の学びを知ること、につきるのではないだろうかと思った次第。

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教育 ]

メディアリテラシーと認知科学

2006/11/8

情報センターの年報に書いた原稿だけど,とりあえず載せておきます.この話は認知科学かいで話したようなことなんだけど,ここのBlogでいろいろと書いてきたことをうまく(?)組み合わせて,仕上げたものです.本当にこういう原稿のときにはBlogが役立つなぁ.

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大学教員へのFD

2006/10/28

だいぶ遅れた記事になるわけだけど、大学教員のFD義務化という話があった。新聞記事を読むと大学院大学ではすでに義務化になっていたとか。そういえば、私の友人が数年前に泊まりがけでメディア教育開発センターだと思ったけど、そこで研修を受けなければならないという話を聞いたことがある。実際に行った彼の反応はとてもネガティブであったことを記憶している。まあ実際に自分が行けといわれたらやはりうんざりするだろうと思う。

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教育 ]

教育再生会議

2006/10/12

教育再生会議とかいううさんくさい名前の会が作られる。いろいろな人が入っているようだが、これの座長に野依(ノーベル化学賞受賞者)さんがなった。朝日にそのインタビューが載っていた。なんとも微妙な話が多かったが、「対話力の育成が必要」というところにはけっこう共感した。

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教育 ]

東京都教育委員会の暴挙に対して司法がストップをかける

2006/9/22

日の丸、君が代に代表される、東京都教育委員会の暴挙についてはこのBlogにおいて何度も批判してきた。今日の東京地裁の判決では、卒業式における起立、斉唱の有無に基づく東京都教育委員会の処分は憲法の定める「思想・良心の自由」を侵害し違法とされた。教育委員会の恥ずべき不当な弾圧に対して屈することなく、正当な権利の主張を行ってきた教員の方々に祝福を送りたい。

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simple mindじゃだめなんだよ

2006/9/20

今日の朝日の夕刊(9月20日東京版)を読んでいたら、我が意を得たりという記事に出会った。それは、エセ科学に人はなぜはまるかという話だった。菊池誠さんという阪大の物理の先生が書いていた。

科学は割り切れるというイメージがはびこっていると菊池さんは語っている。普通の人は、科学に対してずばっと白か黒かを決着つけるというイメージを持っているという。科学はけりをつけてくれるというイメージだ。確かに多くの人が持っていると思う。しかしこういう割り切れた言い方をするものはすべてニセ科学だと菊池さんは言う。

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レポートライティングのトリニティ

2006/9/16

以前のエントリーにも書いたのだが、大学の初年次学生のレポートライティングスキルの向上へ向けた試みを行っている。これについて、前のエントリーで書いた山下さんとの研究会で話したときに、いいまとめができたので、ここにメモしておく。

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学習資本主義

2006/9/16

学習資本主義(learning capitalist society)、こういう刺激的な演題で教育心理学会で語ったのは、かの苅谷剛彦さんだ。苅谷さんについては何の説明もいらないだろう。ということで早速今日の講演の話にいく。

話はそう難しいことではなく、世の中の心理主義化が進んでおり、個人、その内面がすべての決定因である、というような間違った見解が広まっていること。そしてそうした傾向をさらに助長するような動きがあること(市川さんの人間力も取り上げられていたし、職業における自己実現なども批判的に取り上げられていた)。しかしそこでは社会的、階層的、経済的要因が無視されており、格差助長の危険性が存在するということだ。もう少し具体的にいうと、学び、学びの能力というより、その育成により金のかかる能力が必要とされる。それによって今でも顕著(?)な階層差が継承、あるいは拡大するというわけだ(うーーん、あんまり具体的じゃないな)。でも、まあそういうこと。

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知識の統合と構築

2006/9/15

東大の中原さんのページで、知識統合と知識構築について、わかりやすくかつ奥の深いエントリーが載っていたので、メモしておく。

うっすらとは分かっていたが、こうやって整理されると非常にすっきり。そういう意味では、このページによってオレの中で知識統合が行われたと言うことだろう。コメントの中で野中先生の話なども出て、組織なども取り上げられている。こういう情報も入ると、統合だけにとどまらず、構築ということにも起こってくるような気がする。


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山下さんとの研究会

2006/9/15

9月12日に専修大学の山下清美さんと研究室の学生さんをお呼びして,インフォーマルな研究会を開催した.山下さんはもともとは心理学,認知科学なんだけど,最近ではBlogなどのCMSの心理学的研究,教育利用,などで活躍されている.昨年にはWeblogの心理学という本をだしている.

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教育 ]

小学校学級崩壊

2006/8/9

7月30日深夜のNNNのドキュメンタリーで千葉の小学校での学級崩壊が取り上げられていた。これはひどい。40代の中堅で、教務主任もやっている、力のあると見なされている男性教諭が、教室のコントロールをどんどん失い、侮辱され、ぼろぼろになっていくというすさまじい話だ。最後は何となく光があるみたいな終わり方をしていたけど、なんとも・・・・

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週1では

2006/7/14

小学校に英語を入れるとか,入れないとか,そういう議論がある.中教審によると週に1度程度の時間を確保するとか.

いろんな人が指摘しているけど,これは無理なんじゃないかな.いくら早期からやっても,週一度で全く体系の違う言語を学ぶのは不可能だろう.日常生活でそれを生かす機会もないわけだしね.覚えることは期待しないとか,怖がらないことがだいじとか言うけど,ちょっと無茶なんじゃないかな.怖がらないことはだいじなんだろうけど,それだけではないと思うというか,ない.また週1度で怖がらないようになるという保証もない.

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授業評価アンケートは記名式がいいのでは?

2006/6/23

どこの大学でも授業評価アンケートのようなことをやっている.FDとか,大学の認証評価とかに関係するので,やらないわけにはいかないという状態になっているようだ.先日ある会議に出ていたら,ある先生が自分の肉体的特徴を揶揄する自由記述があり,大変にショックを受けたとおっしゃられた.そういうことを書く学生は非常にわずかなのだが,1件でもそういうのがあるとかなり落ち込む。

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煮えくりかえっているのははらわただけなのか

2006/6/21

戸田市の教育委員会が卒業式などの学校の行事に来賓として招いた人が、君が代斉唱時に起立したかしないかをチェックするという.これは明白な思想調査だ.そういうものをリストとして保管し、行政機関がその後のために利用する危険性がある.これは思想信条による差別につながる悪事だ.教員の思想調査にとどまらず,ついに一般市民にもその魔の手を広げたわけだ。

この市の教育長をやっている、伊藤という人間は、起立しない人間に対して「はらわたが煮えくり返る」と述べ,どんな思想信条を持っていたとしても生徒たちの前で規律を乱してはいけない、と述べたらしい.これは救いがたい。どんな権利があって,こういうことをおっしゃるのだろうか.どんな思想信条を持っていたとしても,一般市民の前で人権弾圧を行ってはいけない、と言っておきます.

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テキスト批評

2006/6/3

また今年も1年生にレポートライティングを教える授業をしている。ジグソー学習や、ブログなどを取り入れ、なかなかおもしろい活動を引き出すことも場合によっては可能になってきた。しかし、数年やってきて問題として残っているのは、どうも問題発見のための批判的読みというのが、うまくできないということだ。

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なぜ小難しいことをするか

2006/4/29

分野外の人と教育や学習について話すと、その人の教育論や学習論を傷つけることがある。いやな顔をされてそれで終わりということもあるが、批判されることもある。「そんな小難しいこといろいろ言う前に、ちゃんと教えることが大事でしょう」みたいな批判が代表的だ。

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軽薄という悪意

2006/4/24

岐阜県で中学2年生が殺害され、先輩の高校1年生が逮捕された。子供を持つ親として、こういうニュースは本当にいやな気持ちになる。しかしこのごろ親の気持ちとしてとは異なる、いやな気持ちになる。それは

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教養教育

2006/4/6

訳あって学部の新1年生に教養科目のオリエンテーションをやってきた。ということで、行き帰りの電車でいろいろ教養について考えた。

昔は教養を身につけると豊かになれるとか、もてるとか、要するに差別化が出来たから教養が大事されたのではないかという記事を以前に書いた。そして教養が廃れるのは、教養では差別化が出来なくなるからではないかとも書いた。ということからもわかるように、教養教育というものを絶対視するような一部の人間たちには強い反発を覚える。

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なんか不思議な一致だ

2006/3/31

中原さんのblogに東大の総合教育研究センターで「情報テクノロジを活用したアカデミックスキル育成授業」というのを始めるとあった。またここに京大の楠見さんの批判的思考育成実践研究が載っている。実は来年から大学の総合研究所の助成金をもらって、「大学における基本アカデミックスキル育成プログラムの開発」というのを、図書館情報学の専門家の小田さん、高等教育の専門家の杉谷さん、それに私と院生の長田さんで始めることになっている。

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Blogによる協調学習環境

2005/12/31

以下のような内容の文章を青山の情報センター紀要(だったか年報?)に書いたのですが、学外の人の眼にはたぶん触れないと思うので、貼り付けておきます。今までBlogに書いたこともちょこちょこ入っています。こういう文章を急に書くときに、Blogは本当にありがたいと思う。

学びあう環境をつくる -文科系研究室における実験-
鈴木宏昭

 ゼミでBlogを立ち上げている。Blogは、よく公開日記とか、簡単なホームページなどと紹介されるが、コミュニケーション機能と公開機能を自然な形で組み込んだインターネット上のサービスである。これを導入したのは、私の所属する教育学科の学生たちが語り合いながら学びを深めていける環境を作ることができないかと考えたからである。

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問題(再)発見のための読み

2005/11/18

大学1年生にレポートの書き方の授業を行っている。ポイントは語るべきテーマ、ゴール、トピックを見つけることなのだと思う。そのときにキーとなるのは、人の書いた論文だ。これと自分の考えとを対置させながら書くというのがもっとも楽というか、常道というか、王道だと思う。こういう状況下で人の論文を読むときに必要になるのは、知識吸収のための読みではない。問題発見、問題再発見のための読みではないか。

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複雑さに耐えられる脳

2005/11/1

人は分かりやすさを求める。これ自体は何も悪いことではないが、分かりやすさは得てして単純さで代替されてしまう.でも残念ながら世の中単純ではない.簡単に、「こうすればよい」とか、「ああいうのがよい」というのはたいがいが嘘、あるいはレトリックだ.こうした場合の分かりやすさはとても危険だ.

教育の使命というのは、こういう単純さに惑わされず、複雑さを許容できる脳を育てることなんじゃないか.

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教育 ]

認知科学をどう教えようかな

2005/10/11

始めは「認知科学をどう教えるか」というタイトルにしたのだが、なんかこれだと偉そうに聞こえ、「こうするべきだ」というような響きがあるので、上記のようなタイトルにした。認知科学概論のような科目を持っていて、それをどんな感じで教えようかという、つまりとても私的な問題だということです。

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基礎演習が始まった

2005/10/8

1年生向けの小規模ゼミのようなものを担当している。昨年もこれの途中経過をいくつか紹介した。今年は、かなり洗練させたものがスタートした。ポイントは、

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講義におけるコミュニケーション

2005/6/15

講義について、ここ2年くらいけっこう悩んでいる。受講者の反応がかなり悪いとか(寝る、目が死んでいるとか、こういうのを生体反応がないというそうだ)、試験をやると驚くほど出来ないとかである。5年前は確かに違ったような記憶があるが、ここ数年はこうした状態でいったい何がまずいのかがよくわからなかった。それゆえ、めちゃめちゃに準備をして、「これでもくぁー!」見たいな怒濤の講義をやって2/3位の学生に寝られたり、

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大学教育における多重セーフティネット

2005/6/15

大学の授業評価を行う役割を与えられて、ほんとうに困惑している。
・熱意、
・準備、
・黒板、
・理解度、
などを5点満点で学生に評価してもらって、その平均を出し、全体平均との偏差を示すようなグラフをつけて返す。こんな意味のないことをやってどうするんだろうか。

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FD,授業評価

2005/6/15

今年は学内の自己点検評価とか、教育評価とか、そういう仕事を割り当てられている。こうした次第で、大学が公開講座として開いたFD(Faculty Development)に関するシンポジウムに出席した。時間の関係で、慶應の井下先生という人の話のみを聞いてきた。特に語るような内容を持った話ではなかったので、ここではわざわざ書くことはしない。

また最近、「東大教授の通信簿」なる本を買って読んだ(途中でうんざりしてきている)。

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期待してるけど、友達100人減らすかな

2005/5/3

教育に関係する仕事がしたくて、学校教育などというところに長いことお世話になった。しかし大学院に入って教育と付き合おうと思い、コンタクトを始めたがだめで、また近年教育学科在職と言うことで、再度挑戦しようと思ったが、とても難しいことに気づいた。

でもね、ちかごろ、学習科学とか、中原君とか、うちのゼミの学生とかの教育に対する姿勢を見て、「ああいいなぁ」と思うことが多くなった。彼らは、教育に関わる気持ち悪い問題(この下にいろいろとまとめました)から自由な、あるいはそれをとてもよく理解したうえでさらにその先を目指す、そういう研究アプローチを持つ研究者と言えるんじゃないかな。

こういう人たちが増えてくると、俺の教育に対する違和感(ひねくれ?)はあまり価値あるものではなくなり、単なるひねくれになってくるような気がする。

ちなみにおれから見た気持ち悪い問題はまとめると次の通り。

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うちのゼミ生

2005/4/12

closedでゼミのBlogを運営している。院生2名、学部生9名と私が参加者である。だいぶ前に、このBlogはかなり盛り上がっているという報告したと思う。いろいろと波はあるが、かなりintensiveな議論がなされている。このごろ、彼らの記事から学ぶことが多いなぁと感じる。これは、近頃の大学生気質が云々というようなことではなく、学問的な意味で彼らの記事が興味深いと言うことだ。

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素朴教育学

2005/1/28

別エントリーで書いた、大島さんの講演を聴いて「素朴教育学」というのを思いついた。大島さんの発表では、(そういう言葉は使っていなかったけど)教育に関する素朴理論というのは
・テクノロジー敵視(心のふれあいが大事とか)
・伝える、教えるの重視(考えさせない?)
・基礎から順番に教える(問題からではなく、学問系統からカリキュラムを考える)
・教えないと分からない
・図に書けば分かる
・子供は単純なことしか分からない
・勉強はつらく、苦しいもの
なんてのは、かなり一般的ではないだろうか。他にもいっぱいあるような気がする。


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大島さんの大学授業のデザイン実験

2005/1/28

非常勤で本学の大学院で教えている大島純さん(静岡大)が講演を行ってくれた。トピックは大学の授業における学習科学実験についてであった。私も1年生向けの基礎演習や、学部のゼミでblogなどを用いて、なんとか授業改善を行い始めたので、大変に期待していたのだが、実際に勉強になることが満載で、非常に面白かった。

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君が代は大声で

2005/1/24

先週の新聞に東京町田市の教育委員会が、教育委員から「君が代だけ小さな声というのはいかがなものか」などという意見をもらい、歌声の大きさもチェックするとの報道があった。まあ、来るところまで来たなぁ。

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復讐としての教育行政、そしてしょせん教育だ

2005/1/7

「暴走する石原流『教育改革』」を読んだ。またこの本で取り上げられている石原都知事の95%公認ウェブサイトを見た(主に、教育関連のページ)。ひどいもんだ。自分の信念(狂信)をとんでもなく一般化して、これを都民に押しつける。国際化、多様化が進んだ今日において、彼の教育方針は反動という以外ないね。

この人は中国、北朝鮮に敵対的で、かなり挑発的なことをよくやる人だが、実際のところそれらの国の指導者のメンタリティとほとんど変わらない。多様性を認めず、自国本位主義で、妙な伝統を持ち出すとともに他国を敵対視し、国民の愛国心を鼓舞する。これからは彼を東京のプチ将軍様と呼ぼう。

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教員採用試験の教育心理問題を見て仰天する

2004/11/17

教員採用試験関係のWebサイトの中の教育心理の問題を見てたまげた。1960年代までの心理学史の問題である。

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行動遺伝学について

2004/11/15

双子がどれだけ似ているかなどの方法論を用いた行動遺伝学という学問がある。この分野の人たちは当然ながら遺伝の影響を強く見積もることが仕事になっている。

この学問はずいぶん昔からあり、その過程で徹底的に批判されたりたんで、もうないだろうと思っていた。しかしどういう理由か生き延び、最近の進化、脳あたりの関連でもう一回復活しつつあるようだ。日本では、安藤寿康(慶應)さんあたりが中心になっている。この間参加した理論心理学会というところにも、カナダからこの領域の研究者が来て、招待講演を行っていた。

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教育学と心理学の違い

2004/11/11

このごろ教育学と心理学の意外な違いにかなりびっくりしている。むろん、お互いずいぶんと違うどころか、犬猿の仲といっても過言ではないくらい、お互いが違うと考えている。標準的な見方からすると、心理学は何でも数値化して、個性を数字に埋没させ、冷たい人間観を提供するように考えられている。

しかし、どうもそうではないということに気づいた。

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米長邦雄に対する天皇陛下のご発言

2004/10/29

東京都の教育委員をやっている元将棋やっていた米長邦雄という男が園遊会に招かれて、「日本中の学校に国旗を 掲げて、国歌を斉唱させる というのが私の仕事でござ います」という、都教委の方針を述べた。これについて、天皇陛下が「やはり、あのあれですね。 強制になるということでないことがね。 望ましいと」とお答えになられた。これに対して、「本当にすばらしいお言葉 いただきましてありがとう ございました」とこの男は答えたという。

すばらしいお言葉をいただいたと思うのならば(俺もそう思う、日本国憲法の精神をまさにそのまま語られた言葉だと思う)、「国旗を掲げ、国歌を斉唱させる」のをやめなさい。この件についてこの男が書いているところはここですが、ここのポイントはすっかり除外している。さらに問題なのは、

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百マス計算は・・・

2004/10/23

講義の関係で佐藤学さんの論文を読んだ。学力低下論争が引き起こしたさまざまな弊害というのが載っていた。この中で衝撃的な表現を見つけた。だいたいの意味を書くと、「教室にドリルとストップウォッチを持って行く先生がいるが、これは犬の調教師のようなものだ」というものです。まあ要するに蔭山式百マス計算のことを言ってるわけですね。

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Powerpointの功罪II

2004/10/19

昨日上記の件で書いたと思ったら、我が大学の学報に、哲学者の入不二先生が「黒板と哲学」という題で、同様の議論をされていた。非常に面白かったので、ここにまとめておく。

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Powerpointの功罪

2004/10/14

Powerpointというのは大変に便利なソフトで、学会発表などではおそらく8年以上前からお世話になっている。これを授業で使い始めたのは、それからまもなくだが、最近になって、少なくとも授業で使う場合はかなり問題が多いことも確認した。

もちろん使い方の問題があるので、一概には言えないが、PPだけで全部のことを語ろうとするのはやめた方がいいと思う(ちなみにおれは昨年までは1時間の授業に、少なくて20枚、多いと30枚を超えるスライドを用意していた)。

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ジェンダーフリー名簿??

2004/10/5

東京都の教育委員会は最近ほんとうに奇妙なことの連続だ。今日(04/10/05)の朝日朝刊に載っていたのだが、「男女の違いを無視したジェンダーフリーの名簿は望ましくない」とのこと。要するに今の名簿は男も女も入り交じって五十音順、あるいは生年月日順になっていることが「男らしさ、女らしさを無視したジェンダーフリー」ということだそうです。

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基礎演習1回目

2004/9/30

今日、数ヶ月ぶりに相模原に行きました。基礎演習と認知科学概論を担当している故です。厚着よりだいぶ近いのでいいのですが、緑のおじさん、禁煙、変な貼り紙(私語厳禁)があり、滅入ります。学生は教育と心理の学生だけなので、いつも通り。ほとんどがいい学生です。

忘れないうちに今日の基礎演習のメモを残しておこう。

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Blogの利点

2004/9/29

これは以前に書いたものなんだが、他からアクセスできないところに書いたので、ここにも載せておきます。

blogって何と、妻に言われて説明していたら、自分なりによくわかってきたので、書いてみます。主に、インターネットのほかのサービスとの比較だから、別に認知でも何でもないし、またほかの多くの人も言ってるはずのことだから、大したことないけどね。

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私大文系(ゼミ)にBlogを、こいつは効きます

2004/9/28

東京のど真ん中で私大で文系というと、学生が集える場所というのはほとんど食堂、キャンパスのベンチくらいしかありません。ちなみにわたしの学科の場合、3,4年生併せて約300名に対して、80平方メートル弱の「合同研究室」という名前の、書庫兼、助手室兼、事務室兼、印刷所みたいな場所があるだけです。またわたしのいる学科では教員養成を行っているので、みんな受講科目が多く、ゼミのメンバーでも全員が集まるような機会はすごく限られています。これでは講義の後、感想を語り合う、お互いの研究を知り合う、新しい情報を共有し合うという可能性は著しく低くなります。こういうコミュニケーションがなくなると、1つの授業が終わると、「はい次の授業」、「バイト」、「サークル」という次第で、何かを深めていくと言うことが難しくなると思いますね、はい。

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blogと教育

2004/9/28

blogは東大の植田研にいた長谷川君に初めてその存在を教えてもらって10ヶ月くらいです。おもしろそうだなと思いながらも、今年の8月くらいまで忙しさにかまけて何もやっていませんでした。

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「不自由論」を読む

2004/5/6

ちくま新書からでている 仲正昌樹著「不自由論:何でも自己決定の限界」を読みました.ドイツの現代哲学,脱構築,ルソーのことなど,勉強になったことがたくさんありました.また,「自然に帰れの傲慢さ」で書いたこととつながる点がたくさんあり,強い共感を覚えました.佐藤卓巳さんの論とも共通して,共感するのは,何かの究極の一点,超越論的実体が虚構であること,それに依存する説明や理論が専門家のみならず素人においても,いや素人においてこそ顕著であることの2点です.

さてこの本は哲学者によるものであるにもかかわらず,めずらしく教育問題が取り上げられています.それは文部科学省がここ10年くらい進めてきて,大批判を受け,撤回しつつある「ゆとり教育」についてです.この部分で彼が批判しているのは「ゆとりによってこどもの主体性を取り戻すことが可能である」という論です.

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「自然に帰れ」の傲慢さ

2004/4/24

世界思想社という京都にある出版社の宣伝誌で「世界思想」というのがあります.これは年に1回送られてきます.時々面白いエッセーが載っているので,送られてくるとだいたい読みます.

今回送られてきた中に佐藤卓己さんの「メディア論者は『美しき自然』を歌わない」というエッセーがありました.著者の佐藤卓己さんは専門がメディア論で,著書の現代メディア論(岩波)はこの分野のとてもいい教科書です.私もメディア関係の講義を行った時にはよく参考にさせてもらいました.

さてこのエッセーの中身は自然礼讚,自然との共生,街並保存などの欺瞞性,いかがわしさを批判するというものでした.まさに我が意を得たり,という感じでした.気に入ったポイントを抜き書きすると,

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驚くべき調査

2002/9/3

「子どものやる気」に関して、国立教育政策研究所(旧国立教育研究所)が行なった調査の結果が朝日新聞に掲載されていました。それによると子どもがやる気を出すのは

  • 「親に褒められた時」、
  • 「先生に褒められた時」
  • 「授業がよく分かる時」
  • 「授業が面白い時」

であることが解明!!されたそうです。

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人はなぜ学ぶか

2001/3/3

ダイナミカル宣言はちょっと休憩。
今日、日本認知科学会の「教育環境のデザイン」分科会に出席しました。私はそもそもこの分科会の発起人の一人でしたが、

  1. 奇妙な言葉遣いをする人がたくさんいること、
  2. それについて説明を求めると罵るように応える人がリーダだったこと、
  3. 子供の落書きのような論文が発表資料として配布されたこと、

により、だいぶまえに脱会しました(今日聞いたら、1は変わっていませんが、 2, 3はなくなりました)。
今回は、テーマが「教えないで学ぶ」とかいうものだったのですが、発表者が 佐伯先生、 茂呂さん (筑波)、須永さん(多摩美)ということもあり、おもしろい話が聞けるのではないかと思い出かけました(もっとも青学でやったのでエレベータで4階降りただけですが)。実際、盛況で60名しか入らない部屋に100名近くの参加者がありました。

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科学教育を考える

2000/10/10

岩波書店から出ている「科学」という月刊誌で「なぜ科学を学ぶのか」という緊急特集が組まれました(科学10月号)。これは、2002年度に実施される新指導要領、およびそれに対する反論を検討するという特集です。 新指導要領は、数学、科学教育を壊滅させる、という批判が多くの科学者からなされています(たとえば、ここ を見てください)。たとえば、三桁の掛け算が小学校から消えてなくなり、円周率は「およそ3」にされる、遺伝の授業がなくなる等々。また、とある教科書会社の人から聞いたのですが、高校の物理は力学からではなく、「波」からになるそうです(なんでも、文部省のアンケートでは「力学」は評判が悪いので、「親しみやすい!!」波から始めるそうです…………)。

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