ウィトゲンシュタインの火搔き棒

2017/5/4

先日、図書館で恐ろしく長い名前の本、「ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎」(ちくま文庫)を借りた。世上名高いとあるけど、ぼくはまったく知りませんでした。確かに同時代の人でドイツ、イギリスと関連が深いのだけど、そもそも二人に親交があったということ自体知りませんでした。読めばわかりますが、まあ親交と言ってもたった一度ケンブリッジの研究会というセミナーの場だけであり、親交というよりはタイトル通りの戦いのようなものなのですが。

いろいろとメモを取ったり、考えながら読んだので1週間近くかかりましたけど、これが面白い面白い。訳者あとがきにも書いてありますが、この本は3通りで楽しめます。1つはポパーやウィトゲンシュタインの伝記みたいなものとして読めます。特に後者の家があまりにすごいので腰を抜かすほどです。また両者とも20世紀の巨人であり、卓越した頭脳を持った人なのですが、同僚にはなりたくない(絶対に)というほどの性格の持ち主であることにもびっくりです。ぼくは大学に40年くらいいますし、いろいろな学会などに出席し、人格破綻者と言えるような人を数名見てきましたが、この二人は桁が違います。中学の軟式野球のエースとMLBのピッチャーくらい違います。

2つ目は、20世紀初頭のイギリス、ドイツの哲学という学問の風景が見事に描かれているという意味でも楽しめます。この時代のこの分野のことはぼくはほぼ門外漢に近いですけど(そういうと他の時代を知っているみたいに聞こえるか)、少しかじったり、名前を聞いたことある人がほぼ全員と言っていいくらい出てきます(ラッセル、ムーア、シュリック、マイノンク、ノイラート、エイヤー等々)。ここら辺の学問的関係、交友関係などがとてもよくわかり、これらの本にアタックするときの杖になってくれると思います。それにしても、まあ当たり前でしょうが、本当にすごいメンバーたちが膝を突き合わせて議論してたのだと感動してしまいます。各人の学説(例えばラッセルのdenotation)なども出てくるのですが、おおよその目安をつけるためには十分なものとなっています。著者はBBCの人だとか、すごいと思います。

3つ目は大戦間のウィーンの事情が、特にユダヤ人の迫害の歴史がよくわかるという意味で楽しめます。自由で、進歩的で、退廃的で、豪華絢爛でみたいなウィーンが、どうやってユダヤ人排斥、ヒトラー礼賛になったのかの一端がよくわかります。

訳者は書いていませんが、訳もとても素敵です。すらすら読めますし、訳注が短いけどしっかりしていて、日本語の参考文献なども充実しています。

オススメです。


おめでとうとごめんなさい

2014/1/3

おめでとう:
まず明けましておめでとうございます.本年もどうぞよろしく.昨年から私が所属することを誇りに思う日本認知科学会の会長という重責を担うことになりました.大変でしょうが頑張ってくださいとよくいわれますが,実は大変ではありません.理由は2つあります.1つは会議のメンバーたちが私と同じ思い(認知科学会に対するとてもポジティブな思い入れ)を抱いていること,そして建設的であること,論理的、合理的に思考が出来ること,ということです.ですので妙な気遣いなく,真剣勝負で議論できます.これは楽しいです.いろいろな会議に出ていますけどこういう条件を満たす会議はこれまで1つも経験したことがありません.もう1つは事務局長の清河さんがいろいろと私が気づかないレベルのことまで考えて動かしてくれているためです.おんぶにだっこにならないように私もいろいろと気を使うようにしていますが,なかなかすべてというわけにはいきません.でもそうした部分は信頼できる清河さんがやってくれるので,相当に助かっています.という次第ですので,もう1年ですが楽しませていただきます.

本年は学会が名古屋大学で,斉藤洋典委員長,三輪和久運営委員長,川合伸幸プログラム委員長を中心として開かれます.久しぶりの名古屋の学会です.また植田一博さん,今井むつみさんを中心として学会としての新しい出版の企画が動き始める予定です(「認知科学の探究」以来10年度だと思います).さらに岡田浩之さん,小野哲雄さんを中心にして学会のホームページもリニューアルされる予定です.お楽しみに.

ごめんなさい:
このBlogはあまり更新もしておらず,管理もしていません.一応昨年の後半、おそらく11月にはspamコメントを全部削除したのですが,今見たら2500件を超えるコメントがありました.もしかしたら私の書いたものに真面目なコメントくださった方もいるかもしれませんが,チェックの限界を超えているのですべて削除しました.本当にすみません.匿名をよいことにメールを送るスキルだけがあるクズ野郎,クズ女郎どもによって,このコミュニティや私が大事にしてきた機能がなくなることが残念ですが、これまでの投稿をTB,コメントが出来ないものに変えていきます.


Facebookを(今ごろ・・・)始めました

2013/1/18

Facebookを始めた.何ゆえか.

先日、Windows8を搭載したPCを購入した.正直,全くついていけない.趣味が合わないとか,そうういこと以前に操作がまともにできない.数ヶ月前に購入したiphone5もほとんどその機能をまともに使えない(これは本当に後悔して,娘にこれをあげて、自分は携帯に戻ろうかと思った).

自分は以前機械音痴の研究をしていて,そういうこともありほどほどこの種の情報機器には強かった.TCP/IPを勉強して学部のLANの管理もやっていたこともある.しかし,使いやすくなったと言われる機械を前にして呆然している自分がいる.

これは機械だけではない.ソフト系もそうだ.ワープロを使い始めたのも人より早いし,Webもとても早いうちから接して,おそらく(井田先生,近藤先生を除けば)もっとも早くから青山キャンパスでホームページを立ち上げた.しかしblogはその意義,意味を知るまでよくわからなかった.幸いなことにこれについては舘野を始めとするゼミ生たちの刺激を受けて使い始めた(その延長がこのページ).しかしtwitterはあほだ,facebook知らないね、という世界にいたような気がする.

このままでも悪いわけではない.しかし(でたらめな生活を送っているので,いつ死ぬかはわからないのだが)仮に平均寿命まで生きるとするとあと4半世紀くらい生きる可能性がある.この時間を新しいメディアと断絶して生きていくのかと思うとかなり嫌な気分になった.25年間成長を止めるというのは,自分の世代で言えば,メールを使わない,音楽もカセットテープのウォークマンでしか聴かないくらいのものになる.これはつまらない人生になるというのは明白だ.

そういうことでfacebookをやるしかないと思って登録した.幸いなことにいろいろと友だちができて,なるほど楽しい世界なのだということを実感し始めている.そういうことでみなさまよろしく.そのうちつぶやきも始めます(これはもっとハードルが高そう).


diary ]

報道が気になる

2009/5/19

報道を見ていると本当に情けないというか,恐ろしいというか,なんとも言えない不快感がこみ上げる。先日も書いたがまた気になることがいくつか出たのでメモ代わりに書いておく。

新型インフルエンザ

これもまた前回に書いたことがそのまま当てはまり,ひたすら恐怖をあおる。煽っておいて,パニックになるなとか,おかしなことを書いている。

それにもまして気になるのが,学校の休校だ。大阪,兵庫で中,高校が全面休校になっているとか。これで先生も生徒も,困っているとか,不平がなどという報道がよくなされている。修学旅行が中止されたとか,保育園が休園で働く親が困ったとか,哀れなケースもあるが,生徒のレベルに話を限れば,喜んでいる方がはるかに多いのではないだろうか。学校が休みというのはそんなにつらいものなのだろうか。

小学生の頃おたふく風邪がはやりクラスで10人以上も休んだことがあった(当時1学級45名)。無事に学校に来ていた同級生たちの話題はいつ学級閉鎖が起きるかということだった。むろん目を輝かせて話していた。結果的に学級閉鎖にはならず,さらに(罰か)自分もおたふくにかかり,学校は行かなくて済んだのだけど・・・

まあ40年前の話なので今もそうだとは断言できないが,この間に学校がすごく楽しくなったとか(じゃあ何で不登校が激増したわけ),子供がとてもまじめになったとか(ゲームに夢中になっているんでしょ),そんな話は聞いたことがない。

あまりに一面的というか,紋切り型というか,嘘八百というか,そうした報道姿勢に強い疑問を感じる。学校は楽しくて,すばらしいところであり,みんなが毎日ニコニコしながら登校するというような,「二十四の瞳」みたいな世界であると,我々を洗脳しようとしているのだろうか。

草薙くん

これもまことに馬鹿げた大騒ぎで呆れ果てた。「そんなことしちゃだめだろう」と笑ってすませる話が,なにやら大犯罪のような扱いになる。芸能誌ならばともかく,大新聞,テレビまで大騒ぎだ。NHKでは速報のテロップまで流れた。鳩山大臣は(後に謝罪したが)「最低の人間」ときたもんだ。これを最低と呼ぶとすれば,あまりに世間知らずだ。あなたの党はもっとすごいのを生みだし続けてきたじゃないですか,と言いたくなる。

個人的には草薙くんの公然わいせつより,記者たちの軽薄さの方がよほど犯罪的だと思う。もっともこれについては,いわゆるネットで有名な「正論」以外の意見もかなり出ていたので,そこらへんはちょっと安心ですけどね。


今年度のいろいろ

2009/3/12

今年度(2008/4−2009/3)前半はあまりたいしたことをしなかった.そのおかげで,特に夏休みはオリンピックもしっかり見たし,水泳もほぼ毎日出来た.しかし後半はそのつけというか,けっこういろいろな仕事をしたように思う.

10月くらいまで慶應の渡辺先生の編集する英語の本に載せる,創発認知の原稿を書いていた.英語は日本語で書くのに比べて5−10倍程度の時間がかかる.そして書いたものを読み返すと,これまた5−10倍程度落ち込む.ふぅぅ.その後,ある本の解説を頼まれてその原稿を1,2週間で書いた.

それから,「対称性」に関わる認知科学の論文を書いていた.対称性というのは,簡単に説明しがたいけど,主に子供の言語獲得や,動物の認知,学習に関わる現象だ.このページに,この特集の企画者の説明がある.ここらへん何も知らないので,10,11月と一所懸命勉強しながら原稿を書いていた.途中から大変に楽しくなり,かなり満足のいく原稿が書けた.

これが終わると,昨年度まで青学の総合研究所のプロジェクトとして行っていた「大学生のレポートライティング力向上」の最終報告書を仕上げていた.これはまもなく本として出版される.また別の機会に記事を書くと思うけど,「学びあいが生み出す書く力」(丸善プラネット)というものだ.これのために2ヶ月ほど,レポートライティング漬けになって,原稿を書いた.

これが何とか目鼻がついてきたのが1月中旬,その後放心状態1,2週間くらいで,学期末試験採点,入試と続き,2月中旬あたりから,今度は科学研究費の報告書作成となる.この研究は,対称性でもないし,レポートライティングでもなく,サブリミナル刺激を用いた洞察問題解決研究というものだ.これがやっと今日完了.印刷屋に渡す.それにしても,我が研究室の卒業生の努力には頭が下がる.彼らの努力と知性がなければ,この報告書は書けなかった.

こういうふうに相互にあまり関係のない仕事をしていると,切り替えというのが大事になる.仕事Xは終わり,モードチェンジして,仕事Yという感じだ.だいぶこういうことも上手に出来るようになってきたと思う.

ただ弊害というのもある.切り替えをしすぎて,前の仕事をほとんど忘れてしまうというのがそれだ.自分が何をそこで書いたのかを忘れてしまうことが多くなった.そもそも書いたこと自身忘れていることもある.対称性の論文はまさにそれで,数日前に学会誌「認知科学」が来て,ぱらぱらめくっていたら,自分の名前があって一瞬だけ驚いた.


diary, etc ]

自分酒

2009/2/14

東急百貨店東横店(いわゆる渋谷駅)の地下の酒屋は品揃えがよいと思う。俺が好きな系統の日本酒が数多く置いてある。よって近辺を夕方に通るときにはここによって1本買っていくことになっている。前の記事で書いたように、今日はタワーレコードに行ったので、この酒屋に行った。

さて、今日は込みかたが半端ではない。レジのかなり後方に「ここが最後尾」というプラカードを持った人までいる。歳末に来たときはこんな感じだったのだけど、なんで?ということで、店の人間に聞いたところ「バレンタインだから」という。はあ、なるほどチョコじゃなくて、酒をあげるわけね。確かにレジの前に並んでいる10人以上の中で男はオレともう一人しかない。これは確かにふつうの日の酒屋の光景ではない。

お酒をあげるというのは、本当に好きな人になんだろうなと思った。そう思ってみると、なんとなく幸せそうな顔をした女性が多いような気がする。酒は高いから義理というわけにはいかんよね。店もなんとか入とか言う数千円のものを売って、「残り何本」とか言っていた。お幸せに。

こういう状況なので惨めな気持ちがしてきた。しかし女性も自分チョコ(っていうんだっっけ)といって、自分が食べるチョコをバレンタインに買うそうな。ということで、オレも自分酒買いました。ちなみに【開運無濾過純米】、【鶴齢】を買った。これらはほんとうまいよ。


Tower Recordでクラシックを買う

2009/2/14

1週間前くらいに採点の合間にボーとしていたら、突然頭の中で音楽がなり始めた.とても好きだった曲なのだが、なぜか思い出せず、しばらく考えていたら「トリスタンとイゾルデ」の前奏曲だった.それ以来、どうしても聞きたくなっていた.とうことで本日、試験監督終了後に渋谷のタワーレコードに行ってきた.あるわ、あるわ、ベーム、クライバー、バレンボイム、サバリッシュ、フルトベングラー・・・などなど.安いのは3000円台前半、高いのは7000円台.ニルソンが好きなのだが、ベームのは高すぎるということで、サバリッシュにした。

それから、妻がのだめのファンでのだめのCDをずっと買っている。チャイコフスキーのバイオリン協奏曲がこのCDの3に入っているのだが、なぜか第1楽章しか入っていない。残りも聞きたいという話しを聞いていたので、チャイコフスキーコーナーに行く。これは「あるわ、あるわ」ではすまないくらいある。数えていないけど優に30以上のアルバムが並ぶ。最近テレビで聞いて、とてもいい印象を持った庄司さやかさんのもあった。またズッカーマン(確かのだめのCDはこれ)とか、パールマンとか、いわゆるというのもあった。まよっていろいろと手に取っていると、なんとなんとハイフェッツのがある。信じられない。もう聞けないと思っていた。

実は小学校6年のときにクラッシック音楽を聴くのが好きになった。最初は母親が若い頃買っていたレコードを聴いていた。当然、いわゆる名曲から入ったわけで、バイオリン協奏曲といえばベートーベンとか、メンデルスゾーンとか、そしてチャイコフスキーとなる。そのとき聞いたのがハイフェッツ。むろん他の演奏家のを聞くこともなかったので、これだけおそらく数百回は聞いたと思う。

どこかのブログに書いたような気もするが、こういう初体験は抜きがたい思いを残す。それ以来、いろいろな人のを聞いたけど、やはりハイフェッツが原型にあるので、どれを聞いても違和感が強い。とにかくスピードが全然違う。加えてめちゃめちゃに正確で丁寧。またリズミックというのか、跳ねるような感じで音が出てくる。独特なのかもしれないけど、やはりこれじゃないとだめ。なんか、何かに似ている。

というわけで今晩は幸せだ。


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ニューオリンズ・トライアルを見て裁判員制度を考える

2009/2/10

日本でも裁判員制度がいよいよ始まる.詳しいことはよく知らないが,全体としてみれば裁判官が一人で決定を下すよりもよい決定が出来ると思う.日本の刑事裁判では一度起訴されたら無罪になる確率は1%以下である.これはむろん警察や検察がしっかりとした証拠を集めて起訴していることを示すのだろうが,検察、警察,裁判所が一体化している危険性をも示唆する.一般の人が裁判に加わることにより,こうした危険性を減ずる可能性が拡大すると思う.

と考えてきたのだが,昨日「ニューオーリンズ・トライアル」という映画を見て,恐ろしい可能性に気づかされた.この映画は危険性が極めて高い銃により殺害された人の家族が、その銃の製造メーカを訴えることから始まる.銃メーカーはこれが有罪とされてはたまらない.そこで特別な会社と契約し,自分たちに有利な判断をしてくれる陪審員を集めるとともに、不利な判断をしそうな陪審員を排除,あるいは恫喝させる.こういう恐ろしい話だ.映画自体はハッピーエンドなんだけどね.

アメリカに本当にこういう陪審員ビジネスがあるのかどうかは知らない.所詮映画ということになるのかもしれない.ただ、O. J. シンプソンの事件などでも知られているように,誰を陪審員にするかで壮絶な戦いが、検察と弁護側で行われているのは事実だ.

日本の司法制度はよく知らないが,こうしたことが起こる危険性はどれほど考慮に入れられているのだろうか.おかしな陪審員ビジネスがはびこる可能性はないのだろうか.

こうやって考えると他にもいろいろと気になることがある.たとえば、裁判員として参加した人が有罪とされた人に逆恨みされ、危害を加えられるなどという可能性はないのだろうか.特に、暴力団など組織的な犯罪を行う集団の裁判ではかなり危ないことが生じるかもしれない.


Wordでの半角と全角の変換

2009/2/9

MS-Wordはよほど短いもの以外は使わないようにしているが、これで書かれた文書の数字とアルファベットのみを半角に変換しなければならなくなった.メニューの【書式】ー>【文字種の変換】をやると、全角を半角にするというものがあるので喜んでやったところ、カタカナもすべて半角になってしまった.これは困る.

 

オプションのようなものは存在せず、わからないので結局ネットで検索した.で簡単な方法をここで発見した.これを見ればわかるのだが、要するに、

  1. 検索で【ワイルドカードを使う】にチェックを入れる
  2. [0-9A-z]とする(むろん文字は全角).
  3. 【検索結果をすべてハイライト表示する】にチェックを入れる
  4. 【すべて検索】をクリックする
  5. その後に【書式】ー>【文字種の変換】で【半角に変換】を選ぶ

これで終了.なるほどね.


diary, etc ]

名古屋大学講義

2008/10/28

名古屋大学情報学研究科の三輪さんに呼ばれて,大学院で午後講義を行ってきた.10年くらい前に集中講義を行ったことがあり,講義は二度目だ.今回は名城線の名古屋大学前という駅があり,大変に便利だった.

いつもの創発認知の話の中の,
生成性(change blindness, false memory, analogy)
冗長性(確率推論,条件文推論,発達)
を取り上げて話した.話し方があまりよくなかったのか,自分も学生もあまりテンションが上がらなかった(ように思う・・・).

その後に八事の居酒屋で,同研究科の斉藤さん,川口さん,三輪さん,川合さん,および院生の方たちと一緒に飲んだ.話しはいろいろと盛り上がり(というか一人で酔っぱらって盛り上がった可能性もあり),伝統的認知科学の意義,潜在・無意識研究,などなど,楽しい会話をすることが出来た.新しいタイプの研究の方法論を開発する必要があることを強く自覚する.いつも思っていることなのだが,平均に巻き込まれることなく,個体の揺らぎと変化をしっかりと科学的に捉えるということだ.

帰りの電車があるので飲み会は8時くらいにお開き.その後まだ飲み足りずカップ酒2つ買い込んで新幹線グリーン車に乗車.音楽を聴きながらゆったりと考え,その後眠り,無事品川着.


論文2つほど刊行

2008/2/28

2月も終わりになって、昨年の夏休みにもがき苦しんだ(とまではいかないけど)論文が無事刊行された。

1つはスキルの熟達に関わるものだ。これはレゴブロックを使って簡単な形を作ることをひたすら繰り返して、その過程で何が起こるのかを詳細に分析するというものだ。数秒(これは熟達の最終期あたりだけど)で終わる課題を数千回行わせると、ものすごいことが起こる。とにかく見事、何やっているのかよくわからない、そのくらいうまくなる。このもんのすごいことをなんとか、客観的に、科学的に解明できないかというのが研究の出発点だ。

これはそもそも東工大の名誉教授で、退官後に中京大学で教鞭を執られた木村泉先生の猛烈にすごい研究に触発され始めたものだ。先生はミソサザイという折り紙を15万回ほど自分が被験者となって折り、この達成時間の分析をかれこれ7,8年前くらいの認知科学会で発表された。

一般に練習による遂行時間の減少は、練習のべき法則(the power law of practice)と呼ばれるものに従うことが知られている。練習回数、遂行時間の対数を軸としたグラフを書くと、右下がりのきれいな直線で近似できるのである。しかし、木村先生のデータはこの直線の上下をうねるような形で遂行時間が変移していた。

直感的にこれはすごいと思い、我が研究室でも細々と研究を続けてきた。6年前くらいの卒業生の竹谷さん、4年前くらいの卒業生の佐々木さんと、かなりの苦労を重ねて、知見を積み上げてきた。そして3年前の竹葉さんの驚くべき努力、そして大西君の見事なデータ解析力により、ようやく論文化する道筋が見えてきた。この研究は認知科学会で3回ほど発表した。この過程でさらにいろいろなことに気づき、昨年人工知能学会でスキルサイエンス特集というまさにドンぴしゃの企画がありこれの論文募集があったので、投稿した。

取り上げたことは「スランプとそこからの脱出」ということ。主張は
・スランプは単なる統計的な誤差ではありません、
・スランプは内的スキルとその実行環境とのミスマッチにより生じることがある、
という2点です。おもしろいです、おすすめです。ここにおいてあるので是非ご覧ください。

もう1つは全然違うネタで、大学生にまともなレポートを書かせるためにはどうしたらよいかというものです。これもかれこれ5,6年くらい前から手探りの状態で進めていたものです。そもそもまともなレポートとは何なのか、というこことがこの分野の研究の大きなテーマとなります。一般的にレポートは、
・問題
・主張
・論拠
からなるとされます。しかしこれだけではいくら何でも抽象的すぎてだめですよね。問題の意義とか、主張の範囲とか、論拠の妥当性などが、この図式には欠けているからです。じゃあ、自分で考えればいいんだけど、いくら無謀なオレでも「レポートとは・・・・だ」などと断言するというのもできず、悶々としていたんだけど、Toulminというつよーーい見方を見つけることができました(実はずっと前から知ってはいたんだけどそれをこの研究に関連づけることに気づかなかった)。彼は議論についての哲学的な検討を経て、

  1. 主張:まあ主張ですよ
  2. データ:主張の証拠です
  3. 保証:データが主張と関連しているかどうか
  4. 裏づけ:データと主張との関連についての一般的な保証
  5. 反論:対立仮説の検討
  6. 限定:主張の範囲の限定

という6つの要素が正当な議論には必要であることを論じた。

これはレポートにまさに通じる話で、というか論文にも丸ごと当てはまるような話なわけです。この基準を使えば、ある程度まで客観的にレポートを評価することが可能になるのではないかと考えたわけです。で、これが第一歩。

しかしこうした抽象度の高い理屈というのは、大学1年生あたりに事例1つ交えて話したくらいでは全然通用しない。ここで2つの方法がある。1つは、この図式を徹底的に練習させて身につけさせるというものだ。で、これは当然やる気が起きないので(ああ、オレがという意味ですよ)、なんとかもう少し無理なく身につけさせることはできないかと考えたわけですね。

そこで出てくるのが協調学習、Blogというわけです。このBlogにはいろいろと書いているのでこれ以上書かないけど、Blogやディスカッションを通した他者との交流を積極的に取り込むことにより、上のToulminの6つの要素が自然に(?)身につくのではないか、というわけです。そもそもToulminの図式は、議論という、他者との相互作用の場面で求められることであるわけで、その意味では他者との交流はこの図式の獲得の必須条件(とまではいえないけど)ではないかと考えたわけです。ということで、今までやってきたBlogをを用いた授業とか、グループディスカッションとかが、Toulmin+協調学習という中にきれいに納めることができると考え、論文にしたわけです。

出した先は、京都大学高等教育研究開発推進センター(何度書いても長すぎて途中を忘れる)の紀要です。なんで他大学の紀要になんて書くのかというと、昨年の3月にこのセンターが長年に渡って行ってきている「大学教育研究フォーラム」という学会というか、研究会があり、そこでBlogの話をしたことがきっかけになっています。発表後に、このセンターの松下さんから「紀要に書いてみないか」というお誘いがあり、せっかくということでお引き受けし、書いたわけです。でも依頼論文というわけではありません。査読もありました。で、その査読結果は今までいろいろ論文を書いてきたけど、こんなにほめられたことないよ、というくらいほめられて、1週間くらいテンションがあがりましたね。まだまだ展開していかないと,いわゆるおもしろい論文にはなりませんが,とりあえずの一歩です.
ここに載っているので興味のある人はご覧ください.